Backyard Ultra 2022 東京大会 未完走記
終了時間は定めなし
ウルトラランナーならだれでも、走りながらこう思ったことがあるだろう。適切な水分と栄養補給さえあれば、どんなに長距離・長時間でも走り続けられる、と。爽快感と全能感にあふれて想像する、至福の時間。
その空想を試すことのできるレースがある。Backyard Ultraである。
2022/11/19(土)、東京・高尾の大会に2度目の参加をしてきました。
レースの概要
- 一周6.7kmのコースを1時間ごとに一周する
- 毎時00分に次の周回に出なければならない(早く帰ってきても次の周回に行ってはいけない)
- 参加者がリタイヤしてゆき最後の一人として一周できた者が勝者
- 最後の一人を除き全員失格
- レースの時間は不定(開催時点の日本記録は86時間:三徹、世界記録は101時間:四徹)
目標
昨年の参加時には、内臓トラブルで31周でリタイヤを申し出たため、悔いが残りました。
時間や距離の目標は定めず、ただ自分の限界まで続けたい、という思いでした。
準備
サポート2名をつけることが認められています。私は昨年同様ソロで臨みました。
一人用テント内に着替えや食品を並べ、外のキャンプチェアを休憩スペースとします。
レース前1週間は禁酒・カフェイン抜き。例外はボジョレーヌーボーの1杯のみ。
100 miles 100 timesのバックヤードウルトラ回を何度か聴きなおす。
天候と体調
初日は秋晴れ、二日目は雨の予報(昨年も後半雨だった)。
10月の月例100マイルで痛めた右ひざに違和感が残っているが、走ることでの痛みはなし。
スタート
13:00スタート。まだ昼間なのに北斜面の林道は動かないと寒いくらい。
コースは昨年よりも短い区間を、二往復ではなく三往復するように変更されている。
昨年DNFからの顔なじみであるY選手と、「今年の方が楽ですね」と確認し合う。
ちょっと様子見しながら二・三周し、やはり一周49分~52分程度に収まるように安定する。
下り区間はひざを痛めないよう抑えめ。
ペースは汗をかかず・体が冷えず、というところに調整。ウェアリングもTシャツ短パンにソフトシェルを着たり脱いだり。
汗をかかなければ水分補給も少なくて済む。胃腸の負担を考え、無駄に飲食をとりすぎない方針である。
100マイル(24周)まで
初日はサイラーIさんが応援に来てくれた。短い会話だったが元気をもらえた。
夜に向かって、長袖Tシャツを重ね着追加。短パンから長タイツに履き替える。
ヘッドライト点灯。どれだけ続くかわからないため、光量は最小限として電池を節約。
夜間の防寒にはその後の雨対応も考えてレインウェアの上着を着用。一往復だけ着て走って、二・三往復の時は腰に巻いていることが多かった。
朝、友人T氏が応援に来てくれた。ランニングと関係のない会話が良い気分転換になる。
両ひざに違和感がたまってきたので、テーピングの下に湿布を貼る。
24周までにリタイヤは7名。16名が残っている。ここからが本当のスタートなのだ。
A選手との会話
山梨から参戦した100マイラーAさんが、親しく話しかけてくれてよい気分転換になった。
来年の小江戸大江戸、OSJ ONTAKEでも再会できそうである。甲州アルプスオートルートはお勧めの大会とのこと。
ランナーでもある奥様のサポート付きで参加されており、家族会議で25周で引き上げることに決定したそうだ。
安定した走りを見せていたので、事情が許せばもっと先まで走り続けられる人だと思う。
そして雨が降り始める
予報通り、午後から雨。降り始めの2周ほどはレインウェアの上着だけで済ませた。ロングタイツを履いている足には少々の雨は冷却効果が気持ちよいくらいだ。
本降りになるところでレインパンツも着用。
防水手袋も持っていたが、着用したのはごくわずかな時間で、レインウェアの袖を握り込んで走ることが多かった。
レース前には、1mm/時以上の強い雨は2~3時間で、そのあとは小雨になる予報だったが、翌朝まで降り続く予報に変わったようだ。
高尾グリーンセンターの屋根の下のベンチが、いまやサポートエリアとなっている。私やY選手のように一人用テントしか建てていない者には、頑丈な屋根がありがたい。
200km(30周)まで
100マイル以降は毎周回のようにリタイヤが発生。
圧倒的な走力を見せていた女性ランナーNさんも30周で抜ける。
ウルトラの日本代表で、普通のレースでは徹夜せずに走り切ってしまうので、夜の経験を補う練習のため参加していたとか。
二度目の夜へ
雨の夜へ向かってゆくことで、さらにリタイヤ者が出ることが予想された。
私自身も時に眠気を感じ、「自分の気持ちよいペースで走れば50分前後」という状態ではなくなっている。
31周目からはそんな現状を打破したく、スピードを上げて、眠気覚まし・休憩時間の確保を図った。
これが他選手への揺さぶり(コイツ、まだこんなスピードで走れるのか...と思ってくれれば)にもなれば一石二鳥である。
各周回の1位、2位と上位を刻んでゆく(ここまでの1位は前述のNさんのほぼ独擅場)。
緩やかな下り傾斜も、スピードを上げて足を回すことで、むしろ膝の負担が軽く感じられた。
途中、雨が少し弱くなった周回で、ソックスとシューズを交換する。本当は雨が降り止んで晴れに向かうところで交換して快適に走りたかったが、止まないなら早めの方がいいだろう。
いつの間にか残るランナーは10人を切っていた。
ラストマンを見据えて
36周目のスタートに並ぶとYさんがランナーを数えて「6人か」と言う。「いや8人ですよ」と数えなおした私。「あ、7人か」Yさん自分を数え忘れてない?
あれは自分がラストマンになるなら、あと7人に勝たなければ、という意味だったんだろうか。Yさんは、この周回途中で残念ながらリタイヤしてしまった。
やがて残り3人となった、その中に私が入っている。信じられない気もするが、根拠のない話でもなかった。
- 自分の限界はまだその先であることを確信していた(昨年の31時間よりもだいぶ後のはずと見積もった)
- 外的要因による強制終了は排除した(休日の調整)
- 何より、当の自分に途中でやめる気がまるでない(時間や距離の目標はもたない)
最後の数周
さすがに眠気が襲ってくる。
3人それぞれのペースが違うので、雨の中、暗い夜の林道を自分のヘッドライトの灯だけで単調に走ることになるのだ。
照らされた範囲の路面だけが見えている。
突然、円く切り取られた視界がちらついて消え、慌てて足を止める。
身体は自動操縦で動いているのだが、脳が瞬間的に睡眠に落ちてしまうようだった。
休憩時間にはコーヒーとカフェイン入りのジェルを摂取するようにした。今更、水分補給は控えめに、とは言っていられない。
39周目からは何度か、折り返し地点の東屋に座り込んで目を閉じた。多少のタイムロスは承知の上、完全に眠ることはなく各1分程度であったと思う。
41周目、スタートからの下り区間を毎回軽快に飛ばしてゆくはずのSさんのスピードがあがらない。限界が近いのか。
私もまた東屋での仮眠をとる。通過した選手を追ってコースに復帰するが、Sさんとはこのあとコース上で出会うことはなかった。
一方、Iさんは力強く走っている。やはり経験値と、積み上げてきた鍛え方が違うのか。これだけ走れる速い人が、登りを歩いて温存していたという事実に圧倒される。きっと、見ているものがもっと先なのだ。
まだ私の身体は動きそうだ。足は痛くない。だが10数秒ごとに視界がブラックアウトする。これ以上追えない...。
だましだまし、自分の体をスタート地点まで運んだとき、スタート3分前の笛が鳴る。
41周。
回り切ったところが私の限界でした。
まとめ
結果(42周の優勝者のアシスト)には大満足しています。自らリタイヤ宣言した事実は昨年と同じに見えるかもしれませんが、内容が全く違います。途中のトラブルを極小に抑えて、最大限の力を引き出せたと思います。
それでもなお改善するとしたら、
- 電池残量を気にせずヘッドライトの光量を最大にしたらどうだろう。覚醒効果あるのでは?
- カフェインはコーヒーでなく錠剤にしたらどうだろう。水分とりすぎを気にせず投入可能か?
- サポートについてもらったら、休憩時間に少しずつ睡眠をとれただろうか。使える時間や設備はもちろん増えるが、やっぱり気になって眠れない気もする
- サポートについてもらったら、41周完了時に「あともう1周だけ」等、ダマして送り出してもらえただろうか。私の知人にそんな悪魔のような人はいなさそうだが...
レース中に消費した食料
倍以上持参しましたが使い切るほど続けられませんでした。
- カップ麺*2
- ベースブレッド(+チーズ、ジャム)*3
- サラダチキン*1
- 味噌汁*2
- 卵スープ*1
- バナナ*2
- みかん*3
- ジェル*2
- エネ餅*2
- SOYJOY*1
- ナッツ&ドライフルーツ少々
- スポーツ麦茶750ml
- スポーツドリンク500ml
- コーヒー4杯
- 甘酒1杯(主催者提供)
- お茶2杯(選手提供)
なお、失格後にふるまっていただいた、カレーときりたんぽ汁は絶品でした。ありがとうございました。
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Cappadocia Ultra Trail その4(旅とホテルと後日談)
表彰
翌朝、フィニッシャーズベストをもらい忘れてたことに気が付き、あらためてゼッケンを持って会場へ。すすめられたSサイズがぴったりでした。割と暖かいジャンパータイプなので日常で使えそうです。
せっかくの機会なのでSalomonのキャップでも買おうかと販売ブースを見たのですが、欲しいと思うものはありませんでした。
表彰式を見物します。実は年代別(50+)では3位に入っていたことを、Iさんがメッセンジャーで教えてくれました。個別の案内はされていないけど、年代別の表彰あるんだろうか? 見ていると年代別の表彰もやりそうだったのでステージ脇へ移動、入り口で「成績の証明は?」と聞かれてゼッケンを見せてパスしました。持っててよかった。
50+男性クラスの1・2位はトルコ人。2人ほぼ同じタイムで、私より1:40ほど早くフィニッシュしています。総合でもトップ10に入っている素晴らしいランナーでした(過去の記録でも常に上位みたい)。2位のCevdet Alyılmazさんは序盤で言葉を交わした方です。表彰台でがっちり握手。
年代別入賞のメダルをかけていただき、降壇。
ステージ脇では、表彰された人全員がこのレースのポスターにサインを入れています。私も書かせていただきました。どこかに掲示されたら、誰か写真送ってくれませんかね? トルコ在住の方!

イスタンブールのホテルについて
PCR検査のため、レース後イスタンブールへ移動し2泊します。そのために予約したホテルが二転三転。
Old City Luxx Boutique Hotel
なぜか一方的にキャンセルされ、レース中にExpediaからLINEが来て焦りました。いったん忘れて走り切り、あとでメールを確認すると、「カードが無効だからキャンセルする」と書かれていましたが、そんなはずはないのだが…?
再予約しようとしたらすでに満室。
Family Istanbul Hotel
レース後にExpediaで安いところを探してあらためて予約。到着が夜中になるので念のためメッセージを送ったら、問題なく夜間もチェックインOKということで一安心。
24:30ごろスーツケースを転がして到着したら、なんと改装中で休業しています。
おいおい! 今夜泊るところなしかよ!

再度メッセージ送ると、すぐバイクでオーナーがやってきました。
工事中なのにシステムが自動で予約を受けてしまったらしく、知り合いの近くのホテルをキープしてあるとのこと。それは予約時のメッセージで言ってくれ…(確信犯?)。
150mほど先のホテルへ案内してもらいます。
Golden Palace Hotel
用意ができてなくて少し待つ(キープしてたんじゃないんかい!)。最上階のロフト的な部屋へ(天井が斜め)。質の高いサービスを期待する人には向かないです。
- シャワーのお湯はちゃんと出る
- シャワーとトイレとの間には仕切りがある
- TVはつかない(見ないけど。トルコ語だし)
- 空調はつかない
- 冷蔵庫なし

この部屋になるなら、それはそれでいいから少し返金しろ、ってFamily Istanbul Hotelに言えばよかったかな。
空港と市内の交通
アタチュルク空港が廃止され、イスタンブール空港に切り替わっています。
空港と市内の間はリムジンバスHavaistを利用しました。空港からはチケット販売所で現金で購入。市内からは乗車時のカード決済にしました。イスタンブールカード(プリペイドICカード)があると便利、といわれていますが、ランで移動する人間にはあまり必要ない気がしました。
ホテルはスルタンアフメット地区だったので、BEYAZIT MEYDAN 路線を利用しました。終点BEYAZIT MEYDAN で下車し、後はホテルまで歩きです。到着は夜中だったので、1.5kmくらいを「意外と夜中も飲食店開いてるなぁ」と眺めながら歩いたのですが、石畳がデコボコでスーツケースを引きにくい点と、海側にかなり坂を下った場所のホテルにしてしまったことはイマイチでした。
帰国時にスーツケースを引き上げることを考え、翌日からは観光がてら、石畳じゃなく平坦な舗装の歩道で坂の上の大通りまで出るルートを探しつつ過ごしました。







最終日、ホテルのスーツケースをピックアップし、目星をつけた平坦ルートでBEYAZIT MEYDAN へ向かいます。Havaistは30分おきにあるようなので、広場のベンチでゆっくりコーヒーを飲んでからバス停に移動。ところが、時刻表の時間になってもバスが来ません。イスタンブールの渋滞は有名なので気長に待っていると、通行人が
「あんたはここにバスが来ると思ってるのか?」
と話しかけてきました。そういえば、Havaistのサイトのバスの所在表示は一駅先(AKSARAY)で止まっています。
「この通りは車が入ってこないように止めているよ」
え~!!

たしかに、四輪車は通っていません。夜中に降車したのがこの場所だったのと、路面電車と二輪がそこそこ通るので、まさか歩行者天国になっているとは気が付きませんでした。
AKSARAYまでさらに1.5kmほど歩くことになりましたが、無事に乗車し、空港へ。帰国の途に就きます。
手続き関連
トルコへの渡航と帰国の手続きで必要だったものを参考に記します。
日本からトルコへ
- ワクチン接種証明書を取得(これで出国前のPCR検査が不要になる)
- HESコードを取得(トルコ保健省が全入国者に対して事前入力を求めている)
トルコから日本へ
- PCR検査を受けて陰性証明書を入手(日本の求める検査方法や書式が厳格なので、対応している医療機関で受ける必要がある。HISのツアーで予約。証明書はPDF添付のメールで受領)
※PDFの場合、入国時に所定のメールアドレスへ添付送信する必要がある - 「接触確認アプリ」をインストール
- 「MySOS」をインストール
- 帰国便チェックイン(座席確定)後、「質問票」へWeb回答(QRコードが発行される)
- 帰国便の中で配られる書類への記入
- 空港内でPCR検査(唾液)
- 帰宅手段(公共交通機関以外)の確保
- 翌日から14日間の自宅隔離、「MySOS」での待機場所登録(初回のみ)、受電対応等






トレランの完走結果も満足いくものでよかったのはもちろんですが、ホテルといい、バス停といい、「現地の人に聞きながら何とか間に合わせる旅」が久しぶりで刺激的でした。
刺激的な思い出を反芻しつつ、2週間を過ごすことにします。
おしまい
Cappadocia Ultra Trail その3(大会当日・後半戦)
前半戦から続く
CP滞在中に先に出て行った選手は1人だけ、まだ数人がCPに残っています。概ね20番台だろうと判断(未確認)し、順位をキープするつもりで淡々と進みます。
日があるうちはまだ暑いが、気力・体力ともにまだ大丈夫。まずは13kmほど先の次のCPを目指します。その先には湖があり、そのあとは3つの大きなアップダウンを経てユルギュップに下って戻る、というコースです。
Geographicaの画面を加工。海外でも使えるんですね 後半に入って、めっきりランナーが減りました。ほとんど一人旅、たまに抜かれたりする相手も集団ではなく一人です。そのせいか、後半のCPはどこでもかなりの歓迎を受けました。
意外だったのは、渡渉が多かったことです。特に、最初のCPまでの間は浅い川沿いに進むコースでした。川といっても、岩の表面を深さ10cmくらいで流れるもので、日本の山の渓谷とは全然違っていました。
右に湖が見えます。キャンプや釣りのレジャースポットのようでした。CP7でヘッドライトを装着済
湖のあたりで視界が開けると、行く手のかなたにテーブルマウンテン状の切り立った崖の台地が見えます。ああいうやつを3回、登って下るってことか。
高低図では3つの大きな山があるようでしたが、特に山の名前は記されていません。山頂のある山ではなく、高度に差のある上下2つの平地を行き来するイメージのようです。
1つ目は上り・下りともに砂でフカフカでした。下り始めたところで日が暮れ、ライト点灯。 砂の坂を下ったCPでスープとコーヒーをいただきました。ここで長袖シャツを着用、Tシャツは上から重ね着します。膝とふくらはぎに湿布を貼ろうかと思っていたのですが、次の山も砂だらけらしいので、ここで脚をきれいにしても無駄な感じがしてきました。そのまま行きます。
2つ目の山へ向かい、町を出たところでまた渡渉。濡れずに渡る方法はなさそうなのでそのまま踏み込んで越えました。登りは走れませんが歩きのペースを落とさないように、また登り切った後の平地ではリズムよく走れるように、1kmごとに「あと○km!」と声に出しながら気持ちを鼓舞します。スープとコーヒーが効いて、気力とペースが持ち直しました。下ってきて町の直前で歩いている2人組を抜いて次のCPへ。ここでもスープ半分とコーヒーをいただきます。残るはあと19km、ここで現在の順位をアプリで把握しました。
22位。
上出来だ。最後のCPに寄らずに行けば、もう少し上げられるかもしれない。
3つ目の山も残りの距離を声に出しながら行きます。最後のCPが麓の110km地点なので、この山は4km登って4km下る程度。細かく分解して「今の自分がやれること」に落とします。
下りの局面に入ると、後方100~200mくらいに一人追いついてきました。何とかペースを上げて少し引き離します。CPを計測だけで通過、スタッフが拍手と歓声で送ってくれます。カーブを曲がって小ピークを登っていると、CPで再度歓声が聞こえます。先ほど後方にいた選手が通過したのでしょう。
残りは9km。ユルギュップの町中だけで3km以上はあるだろうだから、トレイルは約6km。その大半は下りで、このままスピードを維持できる。前方数百メートルにはヘッドライトがひとつ見えています。
町中は少し長く感じました。まずは警官に誘導されて右折(ここがもう岩山登り口だと勘違いしていた)。Hitit Hotelのある通りを渡って最後にユルギュップの町の岩山を登ってからゴールへと下ります。登っているとき、頂上部を通過するランナーらしき人影が見えました。あとわずか、前方には届かなかったか…。
頂上部ではレストランのテラスで観戦する人々が「ブラボー!」と声援を送ってくれます。手を振って通過し、舗装路を少し下ったところで、また後ろで歓声が起こりました。
やばい! すぐ後ろにいるんだ!
下りの石畳をかっ飛ばします。
ゴールへ向かうこの石畳の下り坂を全力で駆け下ります(真夜中)
幸い転倒もせず、抜かれることなく22位でフィニッシュしました。
ゴールでフィニッシャーメダルを首にかけてもらいました。
10番台ではなかったけれど、一応自分の番号は下回ることができたし、全力を尽くせたので最高の気分です。
ドロップバッグを回収しにゴール横のエリアへ入ると、焚火の周りで飲食しつつ盛り上がる皆さんに歓声と拍手で迎えられました。
ベンチに座ってフィニッシャーズ・ビュッフェをいただきます。内容はサラダとパスタとチキンの煮込み…パスタが細切れになっていて、これはかなり(笑)ま、食べましたけど。
フィニッシャーズビュッフェ テント内のスタッフが取り分けてくれた このビュッフェ、ショートやミドルのフィニッシュから連続営業なんでしょうね。そりゃグダグダになるよね、って感じです。
ホテルに帰ってもすぐには寝られません。シャワーを浴びて、洗えるものだけ洗って干して、次のホテルの予約を確認、と結構やることが多かったのですが、レース後はどうせ興奮して眠れないのでちょうどよいくらいでした。
全体を通じて、UTMBと似た雰囲気を感じました。リゾート観光地の小さな町のお祭り騒ぎとか、岩山が多く硬い路面、終盤の3連続アップダウンとか。UTMBに出てみたいけどエントリー資格や抽選のハードルが高い、という方にはかなりおすすめです。
さらにポイントなのは、Western States 100-Mile Endurance Runの出場資格レースにもなっていることです。23時間以内で完走すれば抽選権が得られます。もちろん、私も抽選に賭けようと思います。
ショート、ミドルなど距離を各種取り揃え、子供のレースもある、これはUTWTのフォーマットなんでしょうか? 個人的には通算3つ目のUTWT大会でした。
参加される方のご参考に、補給食(消費分)について記しておきます。たんぱく質が不足してますね。国内ならサラダチキンとかソーセージパン、ツナパンとか準備するんですけど。
そして…おうちに帰るまでが遠足です。続く!
後半
CP滞在中に先に出て行った選手は1人だけ、まだ数人がCPに残っています。概ね20番台だろうと判断(未確認)し、順位をキープするつもりで淡々と進みます。
日があるうちはまだ暑いが、気力・体力ともにまだ大丈夫。まずは13kmほど先の次のCPを目指します。その先には湖があり、そのあとは3つの大きなアップダウンを経てユルギュップに下って戻る、というコースです。

意外だったのは、渡渉が多かったことです。特に、最初のCPまでの間は浅い川沿いに進むコースでした。川といっても、岩の表面を深さ10cmくらいで流れるもので、日本の山の渓谷とは全然違っていました。

湖のあたりで視界が開けると、行く手のかなたにテーブルマウンテン状の切り立った崖の台地が見えます。ああいうやつを3回、登って下るってことか。
高低図では3つの大きな山があるようでしたが、特に山の名前は記されていません。山頂のある山ではなく、高度に差のある上下2つの平地を行き来するイメージのようです。
1つ目は上り・下りともに砂でフカフカでした。下り始めたところで日が暮れ、ライト点灯。 砂の坂を下ったCPでスープとコーヒーをいただきました。ここで長袖シャツを着用、Tシャツは上から重ね着します。膝とふくらはぎに湿布を貼ろうかと思っていたのですが、次の山も砂だらけらしいので、ここで脚をきれいにしても無駄な感じがしてきました。そのまま行きます。
2つ目の山へ向かい、町を出たところでまた渡渉。濡れずに渡る方法はなさそうなのでそのまま踏み込んで越えました。登りは走れませんが歩きのペースを落とさないように、また登り切った後の平地ではリズムよく走れるように、1kmごとに「あと○km!」と声に出しながら気持ちを鼓舞します。スープとコーヒーが効いて、気力とペースが持ち直しました。下ってきて町の直前で歩いている2人組を抜いて次のCPへ。ここでもスープ半分とコーヒーをいただきます。残るはあと19km、ここで現在の順位をアプリで把握しました。
22位。
上出来だ。最後のCPに寄らずに行けば、もう少し上げられるかもしれない。
3つ目の山も残りの距離を声に出しながら行きます。最後のCPが麓の110km地点なので、この山は4km登って4km下る程度。細かく分解して「今の自分がやれること」に落とします。
下りの局面に入ると、後方100~200mくらいに一人追いついてきました。何とかペースを上げて少し引き離します。CPを計測だけで通過、スタッフが拍手と歓声で送ってくれます。カーブを曲がって小ピークを登っていると、CPで再度歓声が聞こえます。先ほど後方にいた選手が通過したのでしょう。
残りは9km。ユルギュップの町中だけで3km以上はあるだろうだから、トレイルは約6km。その大半は下りで、このままスピードを維持できる。前方数百メートルにはヘッドライトがひとつ見えています。
町中は少し長く感じました。まずは警官に誘導されて右折(ここがもう岩山登り口だと勘違いしていた)。Hitit Hotelのある通りを渡って最後にユルギュップの町の岩山を登ってからゴールへと下ります。登っているとき、頂上部を通過するランナーらしき人影が見えました。あとわずか、前方には届かなかったか…。
頂上部ではレストランのテラスで観戦する人々が「ブラボー!」と声援を送ってくれます。手を振って通過し、舗装路を少し下ったところで、また後ろで歓声が起こりました。
やばい! すぐ後ろにいるんだ!
下りの石畳をかっ飛ばします。

幸い転倒もせず、抜かれることなく22位でフィニッシュしました。
ゴール後
ゴールでフィニッシャーメダルを首にかけてもらいました。
10番台ではなかったけれど、一応自分の番号は下回ることができたし、全力を尽くせたので最高の気分です。
ドロップバッグを回収しにゴール横のエリアへ入ると、焚火の周りで飲食しつつ盛り上がる皆さんに歓声と拍手で迎えられました。
ベンチに座ってフィニッシャーズ・ビュッフェをいただきます。内容はサラダとパスタとチキンの煮込み…パスタが細切れになっていて、これはかなり(笑)ま、食べましたけど。

ホテルに帰ってもすぐには寝られません。シャワーを浴びて、洗えるものだけ洗って干して、次のホテルの予約を確認、と結構やることが多かったのですが、レース後はどうせ興奮して眠れないのでちょうどよいくらいでした。
全体を通じて、UTMBと似た雰囲気を感じました。リゾート観光地の小さな町のお祭り騒ぎとか、岩山が多く硬い路面、終盤の3連続アップダウンとか。UTMBに出てみたいけどエントリー資格や抽選のハードルが高い、という方にはかなりおすすめです。
さらにポイントなのは、Western States 100-Mile Endurance Runの出場資格レースにもなっていることです。23時間以内で完走すれば抽選権が得られます。もちろん、私も抽選に賭けようと思います。
ショート、ミドルなど距離を各種取り揃え、子供のレースもある、これはUTWTのフォーマットなんでしょうか? 個人的には通算3つ目のUTWT大会でした。
補給
参加される方のご参考に、補給食(消費分)について記しておきます。たんぱく質が不足してますね。国内ならサラダチキンとかソーセージパン、ツナパンとか準備するんですけど。
CP
- みかん(何度も)
- バナナ(何度も)
- りんご×1切れ
- 塩レモン×1切れ
- クラッカー×3枚
- フルーツケーキ×1切れ
- スープ×1.5杯
- ミネラルウォーターのソーダ×3~4本
- コーラ×1杯
- コーヒー×2杯
持参
- 水500ml(適宜CPで水を追加)
- スポーツ麦茶750ml(適宜CPで水を追加)
- SOYJOY
- ジェル
- 塩タブレット
- 塩熱サプリ
そして…おうちに帰るまでが遠足です。続く!
Cappadocia Ultra Trail その2(大会当日・前半戦)
会場へ
朝5時前に起きて着替えとテーピング。ホテルの食堂棟でビュッフェ朝食を軽めに済ませます。
少し肌寒いけど、昼間の暑さを考えてTシャツ短パンで行きます。シューズはAltra Superior。防寒のためレインジャケットを羽織ってドロップバッグを持って出発。

ドロップバッグを預けてしばらく写真を撮ったりしてから、番号順に分けられたスタートエリアに入ります。

スタート前の盛り上げアナウンスはほとんどトルコ語で全然わかりません。
前半
前から3列目くらいで7:00スタート。
最初の舗装路の坂を上りきって、ほぼ位置どりが落ち着きます。ここで先頭の方をうかがうと、突出して飛ばしている人はいない様子。20番目くらいの位置につけられました。


ミドルの選手も混ざっているので、このまま維持できれば10番台の目標いけるかも?と欲が出てきます。
しかし、ほぼ走れるコースなのでハイスピード(当社比)。体格の良いヨーロッパ勢スピードランナーには、次第についていけなくなります。10kmほどは頑張ったのですが、やがてボリュームゾーンよりもちょっと前で、後で落ちて来る選手を拾って行くといういつもの位置で進むことになりました。
この間に、57歳だというトルコ人男性選手と話す機会があり、彼のスピード感には太刀打ちできないものを感じました。
さて、前半のコースは「さほどきつい登りのない走れるトレイル」でした。注意点としては、
- 3箇所ほど岩山の天然のトンネルを潜る箇所があるので、昼間でもライトかスマホをすぐ出せるように
- 単純に半分の距離ではなく、前半がやや長く63km(彩の国の1ステージ50数kmに慣れていると「まだか」と思う)
- テクニカルな下りもあるが、短い区間なので大きく差がつくほどではない
なお、チャウシンの町から山地へ登る辺りでは砂を巻き上げた風がやや強く、下界は霞んで見えていました。こういう乾燥地帯、好きです。水を持っている限りは。
前半の最後、ユルギュップの町の入口の交差点まで5kmほどがそこそこ長い登りです。斜度はそれほどありませんが、「もうそろそろCP」という期待感があったので、「まだ上るのか」と少々うんざりしてしまいました。

ミドルの選手にとっては、ここはもうラストスパートなんですけどね。
中間地点
ミドルの選手と別れ、ゴールから逸れていきます。やはり昨日確認した場所がCPでした。あらかじめ番号を見てくれたらしく、ドロップバッグがとりやすい位置に出してあります。
建物の日陰に座って身支度します。
硬い路面とスピードのせいか、最後の方は足裏に衝撃を感じていました。インソールを抜いている影響もありそうなので、シューズはAltra King MT(一部インソールあり)に交換します。だいぶ使い込んでいますが念のため持ってきてよかった。足を洗ってソックスも履き替えてリフレッシュ。
スポーツドリンク系を摂取できていない(CPになかった)ので、受付時に配られた試供品の粉末をペットボトルの水に溶いて飲み干します。溶け切らないし、さわやかさがない。トルコのメーカーみたいなのでもう使うことはないかな…。
Tシャツは参加賞のものに着替え、夜に備えて長袖Tシャツをザックに入れます。
その他、ジェルやSOYJOYを補充し、念のため湿布もザックに入れてリスタート。
続く
Cappadocia Ultra Trail その1(大会前日まで)
10/16-17開催のCappadocia Ultra Trailに出場してきました。Iさんが2年前に出場していて興味を持ち、昨年もエントリーしていたのですが、コロナで中止・返金となった大会です。
まずは大会前日まで。
ネヴシェヒール空港まで大会送迎バスが来てくれます。小一時間でユルギュップのホテルへ。
大会サイトで、スタート地点に近くて安いHitit Hotelを予約していました。安さなりの設備ですが、マネージャーは穏やかでいい人です。
洞窟ホテルと称していますが、崖の間近にあるだけで泊まった建物はブロックをアーチ状に積んだものでした。
お湯が出るまで時間のかかるシャワーとか、安宿ライフを楽しめる人でないと辛いかもしれません。また、ランナー的にはバスタブのあるところを選んだ方が後のケアに良いと思います。




結構広い敷地だし中庭はバーベキューとかパーティーによさそう。岩壁よりの部屋なら本当の洞窟部屋があるのか?
翌日、公式ツアーの熱気球を申し込んでいました。ホテルへのお迎え時間は前日20:00に確定する、ということだったのですが、ちょうどその頃大会のWebサイトが落ちていて最新情報がわかりません。
旅行会社へメールで問い合わせするのと入れ違いで、直接メールで送迎時間のお知らせが来ていました。5:45とのこと。そうか、そんな早朝ツアーだったのか。昼前開始とかで一日潰れるのかと思ってました。
暗いうちに送迎車に乗り込み、AVANOS近くの待機場(?)カフェへ。軽食をいただけます。
翌朝まで走るレースならコーヒーは控えるところですが、今回は119kmなのでまあ夜半で終わるでしょう
その後名簿によりまた別のクルマに振り分けられ、各車ごとに離陸場所へ。
15人くらいが一つのカゴに乗船し、空の散歩を初体験。Red Valley とかLove Valley の辺りを谷間に入ったり岩峰を上から眺めたりと楽しめました。



隣のグループの気球が離陸。こちらもトリガー引いてファイヤー!




岩峰を見下ろし、丘をすれすれに飛び越え…RedValleyに白い日よけの茶屋が見えます。明日のコースです
1時間ほどで降下です。場所は地上班と無線連絡で打ち合わせている模様…気球側では高度が調整できるだけで風まかせでしょうから。ところが、着陸時にはカゴを運搬するトレーラーの荷台上にピタリと乗せるんですね。上手いもんです。
ん? つまり、場所もある程度なら操縦できるってことなのかな?


トレーラーの荷台上に着陸し上部のフタを開けて熱気を逃がす
ホテルへ送ってもらったのが9時すぎ、そこから朝食をいただきました(時間確定前に「8時朝食」とお願いしてしまっていたが、ちゃんと取っておいてくれた)。
さて、大会の受付に行かなければいけません。
気球で一日潰れてしまったら受付は夕方だろうと見当をつけて予約していたのですが、昼前のコマも空いていたので、早めに切り替えました。
ユルギュップ中心部の体育館のような場所で、予約時間帯別に受付です(予約は混み具合の目安程度だった)。HESコードの記入を求められた他は普通の受付と大差なく、参加Tシャツやゼッケン、ドロップバッグをもらってすぐ終了。
午後は軽く試走することにします。
隣町のオルタヒサールまで、トレイルのコースを下見で往復しました。
片道約5kmくらいを軽装備でゆっくり走り、マーキングや路面の状況、昼間の気温を確認。
コース外だがオルタヒサールの城砦は上まで登ってきました。
ここ、30年前に来たかな? あのときはウチヒサールの方だったっけか…? 今回は快晴だが、当時は小雨模様でもう少し大きな岩山だった気がする。
帰りはトレイルの状況を動画撮影しながら戻ります。日差しは真夏、乾燥した空気と紅葉は秋。ランニングには最適な気候に思えます。
ユルギュップの市街地部分は前半の往路・復路、後半の往路・復路がそれぞれ別の道を通るので、念のためマップを拡大して見ながら確認しました。結果、
この時点では「前半の往路」向けのマーキングのみでしたが、本番で通過時にはそれぞれ適切なマーキングに更新されていて、洗練された運営だなぁ、と思いました(交錯するコースなので、初めから全部マーキングがあるとかえって混乱する)。
ウルトラトレイルの経験を重ね、だいたい上位10%程度の位置に収まることが多くなってきました。
受付されたゼッケン番号が、何となくその近辺の数字に思われ、前後の選手をITRAで確認すると、はたしてパフォーマンスインデックス順に並んでいるようでした。
つまり、自分の番号と同じ順位なら順当な成績というワケです。これを少しでも下回れるようにしたい。
学生時代の友人S、Tとメッセンジャーでやりとりする中で、そんな順位の目標が固まってきました。
「距離的に完走は問題ない」「初参加なのでタイムは読みづらい」という状況だったので、「できたら10番台」という順位目標を立てられたのはモチベーションを保つために効果的でした。
出国前からドロップバッグ用にまとめて持ってきたシューズや着替え各種に加えて、
念のために入れているもの(タイツとか)が多いですが、足りないよりはいいだろうという判断です。
続く
まずは大会前日まで。
ホテル
ネヴシェヒール空港まで大会送迎バスが来てくれます。小一時間でユルギュップのホテルへ。
大会サイトで、スタート地点に近くて安いHitit Hotelを予約していました。安さなりの設備ですが、マネージャーは穏やかでいい人です。
洞窟ホテルと称していますが、崖の間近にあるだけで泊まった建物はブロックをアーチ状に積んだものでした。
お湯が出るまで時間のかかるシャワーとか、安宿ライフを楽しめる人でないと辛いかもしれません。また、ランナー的にはバスタブのあるところを選んだ方が後のケアに良いと思います。




熱気球ツアー
翌日、公式ツアーの熱気球を申し込んでいました。ホテルへのお迎え時間は前日20:00に確定する、ということだったのですが、ちょうどその頃大会のWebサイトが落ちていて最新情報がわかりません。
旅行会社へメールで問い合わせするのと入れ違いで、直接メールで送迎時間のお知らせが来ていました。5:45とのこと。そうか、そんな早朝ツアーだったのか。昼前開始とかで一日潰れるのかと思ってました。
暗いうちに送迎車に乗り込み、AVANOS近くの待機場(?)カフェへ。軽食をいただけます。

その後名簿によりまた別のクルマに振り分けられ、各車ごとに離陸場所へ。
15人くらいが一つのカゴに乗船し、空の散歩を初体験。Red Valley とかLove Valley の辺りを谷間に入ったり岩峰を上から眺めたりと楽しめました。







1時間ほどで降下です。場所は地上班と無線連絡で打ち合わせている模様…気球側では高度が調整できるだけで風まかせでしょうから。ところが、着陸時にはカゴを運搬するトレーラーの荷台上にピタリと乗せるんですね。上手いもんです。
ん? つまり、場所もある程度なら操縦できるってことなのかな?


ホテルへ送ってもらったのが9時すぎ、そこから朝食をいただきました(時間確定前に「8時朝食」とお願いしてしまっていたが、ちゃんと取っておいてくれた)。
受付と試走
さて、大会の受付に行かなければいけません。
気球で一日潰れてしまったら受付は夕方だろうと見当をつけて予約していたのですが、昼前のコマも空いていたので、早めに切り替えました。
ユルギュップ中心部の体育館のような場所で、予約時間帯別に受付です(予約は混み具合の目安程度だった)。HESコードの記入を求められた他は普通の受付と大差なく、参加Tシャツやゼッケン、ドロップバッグをもらってすぐ終了。
午後は軽く試走することにします。
隣町のオルタヒサールまで、トレイルのコースを下見で往復しました。
片道約5kmくらいを軽装備でゆっくり走り、マーキングや路面の状況、昼間の気温を確認。
コース外だがオルタヒサールの城砦は上まで登ってきました。
ここ、30年前に来たかな? あのときはウチヒサールの方だったっけか…? 今回は快晴だが、当時は小雨模様でもう少し大きな岩山だった気がする。
帰りはトレイルの状況を動画撮影しながら戻ります。日差しは真夏、乾燥した空気と紅葉は秋。ランニングには最適な気候に思えます。
ユルギュップの市街地部分は前半の往路・復路、後半の往路・復路がそれぞれ別の道を通るので、念のためマップを拡大して見ながら確認しました。結果、
- 前半の往路をいきなり間違えていたことが判明
- ドロップバッグを受け取れるユルギュップCPらしきテントを発見
この時点では「前半の往路」向けのマーキングのみでしたが、本番で通過時にはそれぞれ適切なマーキングに更新されていて、洗練された運営だなぁ、と思いました(交錯するコースなので、初めから全部マーキングがあるとかえって混乱する)。
ホテルの部屋で出走準備
目標
ウルトラトレイルの経験を重ね、だいたい上位10%程度の位置に収まることが多くなってきました。
受付されたゼッケン番号が、何となくその近辺の数字に思われ、前後の選手をITRAで確認すると、はたしてパフォーマンスインデックス順に並んでいるようでした。
つまり、自分の番号と同じ順位なら順当な成績というワケです。これを少しでも下回れるようにしたい。
学生時代の友人S、Tとメッセンジャーでやりとりする中で、そんな順位の目標が固まってきました。
「距離的に完走は問題ない」「初参加なのでタイムは読みづらい」という状況だったので、「できたら10番台」という順位目標を立てられたのはモチベーションを保つために効果的でした。
ドロップバッグ
出国前からドロップバッグ用にまとめて持ってきたシューズや着替え各種に加えて、
- ミネラルウォーター500ml
- 受付でもらったスポーツドリンクの粉末
- 参加賞Tシャツ
念のために入れているもの(タイツとか)が多いですが、足りないよりはいいだろうという判断です。
続く
彩の国Classic Challenge 2021
“吹き飛んでゆく風景 転がるように前へ”
「ready steady go」をクルマの中で聴く。
“ここで立ち止まるような時間はないさ ready steady go”
100マイルレースであり、かつ、スピードレースでもある、彩の国にぴったりの曲ではないだろうか?
肌寒いくらいの雨の土曜日。
天気予報では夜から小雨になるが、昼間は強く降ることもありそうだ。北ステージは終始レインウェアを着て行動することになるだろう。レインウェアの下には長袖Tシャツとタイツを着用して、肌が直接レインウェアに触れないようにする。暑さに備えて、秘密兵器「空調リュック」を投入予定だったのだが、使わずに済みそうだ。
ドリンクはミナト製薬のスポーツ麦茶750ccと真水500cc。スポーツ麦茶には途中自販機で麦茶などを補充しながら行く。お茶系ドリンクなら混ざってもあまり気にならない。真水は負傷時の洗浄用を兼ねる。
8:32、サンピアをスタート。
今シーズンの北ステージ一周では、10時間を切ることすらできなかった。トータル33時間の目標に対してはお話にならない。
先のことは考えず、とにかくその時点でできる限りのスピードで進み、貯金を積み上げる。北ステージではそれしかない。
くぬぎむら(関門2時間20分)。前傾姿勢と重心に気をつけることで、スピードの割に楽に進めている。1時間43分で立ち寄らずに通過。
新柵山を越え、西平運動場でトイレと自販機を利用。慈光寺に向けて坂を登る。走って登れない傾斜になってもピッチを細かくして心肺機能の出力を一定以上に保つよう心がける。
堂平山(関門4時間50分)。ときがわトレッキングコース上の藪がひどい箇所は直登した。4時間05分で到着、トイレに寄る。空腹は感じていないが、昼時なので補給食をとる。自販機で麦茶を満タンにし、伊藤園のゆず炭酸を飲む。
白石車庫へトレイルで降る。“転がるように前へ”を表現したくて、動画を撮りながら走る(転がらなくてよかった)。 経塚バス停の自販機はパス。涼しいので水分補給が少なくて済む。旧定峰峠(北ステージ最遠点)で証拠写真を撮る。
定峰峠(関門6時間10分)。5時間27分。第一回大会では6時間を過ぎてから関門ギリギリで入り、それでも「今ここにいるだけでエリートランナーだよ…」と言われたのだった。この先補給箇所がないので、自販機でイオンウォーターのミニボトルを予備に購入、ザックに突っ込んでから進む。
無人の白石峠に到着。これで北ステージの難所は超えたことになる。舗装路で高篠峠を通過し、大野峠のパラグライダー発射台登りにかかる。登りの間に補給食の残りを食べておく。
ここからはClassic Challenge 以外でも慣れ親しんだ大野峠〜刈場坂峠〜飯盛峠区間である。刈場坂峠のトイレのほかは立ち止まりもしていない。
飯盛峠(関門8時間20分)。7時間37分で通過。
大平尾根から馬場へ下る。雨脚が強まって、馬場のトレイルはぬかるみ、水たまりとなっていた。水たまりを避けて路肩を走っていたため、一瞬分岐を間違えたかと不安になる。すぐに硯水の標識が出てきて安堵した。
竹林を抜けヘッドライトを取り出す。夕刻だがまだ暗い森の中で点灯する程度だ。
そろそろザックに入れた予備のドリンクを頼ってもいいはずだったが、結局予備を飲み干したのはトレイルからあじさい街道に抜けた後、サンピアに向かうまでの路上であった。
(あじさい街道沿いの斜面にメガソーラーが建設されているが、この雨で道路に赤土が流出しており、何らか対策が必要と思われる)
ちなみに、北ステージの間は時計は一切見ていない。一喜一憂していたら「その時点でできる限りのスピードで進み、貯金を積み上げる」ことができないからだ。
サンピアIN(関門10時間00分)。門の直前で、町が放送している夕刻のチャイムが聞こえる。ということは、おそらく17:30か。あと2分でサンピアの坂を登り切れば…17:32で9時間ジャストということか!
9時間00分で北ステージを終える。自己ベストである。
サンピア到着前に、次のステージのために何をするか?は予定を立てていた。
約25分でリスタート。遠くの雷鳴がきこえるが、豪雨というわけではない。このあと雨はマシになるはずだ。サンピア裏山のソロキャンプ場はこの雨でも数人のキャンパーがいる。雨の楽しみ方として、ありかもしれない。
大高取山への登りの登山道は木の根で区切られた階段状の箇所が多く、水たまりができやすい。替えたばかりのソックスもすぐに濡れてしまった。南ステージの途中、どこかで一度ソックスを絞って履き直そう。
水道のある桂木観音までは1時間少々なので、リスタート時に満タンのドリンクは必要ない(Sさん直伝)。大高取山の登りはわりと厳しいので、少しでも軽いほうがありがたいのだ。
桂木観音(関門11時間20分)。10時間46分。この時点で再び時計は見ていないが、北ステージで貯金ができたので心の余裕はある。ドリンクを満タンにし、グレープフルーツジュースを飲んで出発。
玄家の方へ下る滑りやすいトレイル。わかっていても右足が滑った。左足で踏ん張ろうとした瞬間、ふくらはぎが攣りそうになる。とっさに力を抜いて倒れるに任せ、衝撃を逃がそうと転がる。幸い怪我はしなかった。
バス通りから火の見下で四寸道の方へ入る。ヘッドライトの明かりの隅に、四つ足の獣の姿が映る。危険な野犬か⁉︎と明かりを向けると、3頭の仔を連れたイノシシだった(これはこれで危険だが)。すぐに民家の敷地を駆け抜けて山の方へ消えていった。
だらだら登る四寸道。だがここでスピードを落とさず関八州見晴台までたどり着くことが重要だ。再度、走って登れない傾斜では細かいピッチを心がける。四寸道途中の藪はSさんが整備してくれていたので快適に通過できた。
関八州見晴台に到達しても一息もつかず、すぐに高山不動への降りにかかる。どうせ雨で何も見晴らせないのだ。
高山不動(関門13時間00分)。自販機が撤去されたので、トイレ以外にやることはない。が、せっかく屋根のある箇所なので、通過時間を投稿しておく。12時間32分。以後、北ステージとは方針を変えて関門ごとに時計を見てゆく。
西吾野へ降りるパノラマコースは夏の間に草刈りがされていることを確認済だ。急カーブの先が崩落しているので、突っ込まないように気をつける。
西吾野から子の権現〜竹寺の区間でやるべきことを考える。これまで、Classic Challengeで竹寺の関門を突破できたことはない。子の権現は自販機もトイレもあって休憩に便利だが、滞在時間は最小にして竹寺を目指すべきだ。しかし、竹寺より手前で何らかの補給をしておかないと、東吾野まで自販機がない。そこで、
西吾野の国道から森坂峠のトレイルに入る。昨年は雨の中、ここで方向を見失い、だいぶ時間と気力をロストしたのだった。今年は、夏の間に少し草刈りを行い、問題なく進めた(湿地の草むらではあるので、足が濡れるのは仕方がない)。すぐ脇では轟音を立てて雨水が流れている。
竹寺(関門15時間00分)。計画通り、子の権現を通過したのが14時間10分、竹寺には14時間46分で到着。初の関門突破である。補給とトイレを済ませて再出発。できればこのまま吾那神社の関門に間に合うように行きたい。
天王山は竹寺側から行くとそこまで厳しい登りではない。むしろ下りの急傾斜が要注意だ。
下りきった集落の緩やかな登り舗装路を、長久保坂の入り口まで走る。こういうロードに出ると、つい力を抜いて歩いてしまいがちだが、タイムに関してはそれが命取りになるのだ。
長久保坂を越え、前坂を登って飯能アルプス区間へ突入する。大高山と天覚山では証拠写真を撮っておこうと思う。雨の夜では何が何だかわからないかもしれないが。
やはり、飯能アルプスは長く感じる。特に後半だ。しかし、改めて地図上で確認すると、「竹寺〜天王山〜栃屋谷〜飛村〜前坂」と、「前坂〜大高山〜天覚山〜東吾野駅」は、ほぼ同距離だ。「距離を長く感じるのは、道中の特徴・区切りを把握していないからだ」という経験則に従うと、大高山の後に現れる大岩分岐から天覚山までの区間をしっかり記憶しておく必要があるかもしれない。
さて、補給に便利なのは東吾野駅だが、関門の設定は吾那神社である。
ということにする。
吾那神社(関門17時間20分)。残念ながら到着は20分遅れの17時間40分でカテゴリー3の全CPの関門突破は成らず、であった。
だが、トータル33時間以内のカテゴリー2なら望みは消えていない。あるいは、第二回大会以降の制限時間である35時間以内も区切りの目標としてはいいだろう。通常なら、ここからサンピアまで4時間で帰れるはずなのだ。何より、Classic Challenge の主催者として、100マイルの完走はやり切るべきではないか。
ふやけた足に固く絞ったソックスを履き直し、レインウェアをしまってユガテに向けて山道を登って行く。小雨は降っているが、ひどくなることはなく、レインウェアを脱いで体感温度がちょうどよくなった。
桂木観音(関門19時間40分)。少し東の空が白み始めている。ちょうど05:00である。一晩寝なくても不思議と眠くはないのだ。カフェインとアドレナリンなのだろう。20時間28分で到着。
ちなみに、第一回大会で桂木観音エイドに関門時間内に到着した選手はいない(吾那神社の関門は2〜3人が突破している)。
トイレに寄ってすぐに出発、サンピアに着いてからの手順を考える。
ハイキングコースをオーパーク方面から六角ベンチ方面へ乗り換える。この先はトレイルがコケで滑りやすかったな、と今シーズンの南ステージ一周を思い出した瞬間、滑って尻餅をついてしまった。まあいいでしょ、着替えるし。
サンピアIN(関門21時間00分)。到着は22時間ちょうど。トータル33時間は無理っぽいが、35時間なら望みはある。今と同じくらいのペースで12時間半くらいで帰って来ればいいのだ。
着替えに手間取ったりして、約35分でエイドアウト。
例によって水分少なめの状態で桂木観音を目指す。夜半からは大雨ではなかったので、大高取山の水たまりはすっかり引いていた。反面、活動を始めた蜘蛛の巣が煩瑣である。
桂木観音(関門22時間25分)。23時間53分で到着。
南ステージ①の終了時点で1時間だった遅延が、1時間半に拡大している。第一回大会の関門設定は、エイド滞在時間を考慮しない超タイトなスケジュールだった、というわけか。
トイレを利用し、ボトルを満たし、コーヒーを飲んで出発。昨夜と同じところで転倒しないように注意する。
四寸道から林道猿岩線へ抜けて、関八州見晴台への登りにかかろうというところで、谷側の崖を林道に上がってくる人がいた。今回初めて見かけた登山者である。谷の水量・轟音は相当なものなのに、そこを下から詰めてきたとはたいしたものだ。
高山不動(関門24時間15分)。25時間49分到着。お坊さんが朝の掃除中であった。一声かけてトイレを借りる。
改めて、西吾野〜子の権現〜竹寺でやるべきことを考える。
竹寺(関門26時間30分)に、28時間05分で到着。
東屋に貼ってある飲食メニューを見ると、要予約の蕎麦セットや一杯500円のコーヒーなどであり、スルーするしかなさそうだった。そのまま茅の輪をくぐって失礼する。竹寺の境内に3分もいなかったのは、自分史上初なんじゃないだろうか(今年春までは自販機もあったので)。
天王山を降り、中沢のトイレに寄る。郵便局前の水道でボトルを満たす。
結局、食事をとれていないので、大高山に登りきったら飲食をすることに決める。
飯能アルプスの次に補給できるのは東吾野駅だ。チェックポイントではないが、すでに関門オーバーしているので、それはもういい。トイレとドリンク補充、ヘッドライトの再装着。気分転換に何か食べるものが自販機にないか?と見たらラムネがあった! このラムネがこのあとの長い無補給トレイルで心の支えになってくれる。
吾那神社(関門29時間00分)。31時間18分で通過、あと4時間ほどで終わるはずだ。大高山と東吾野駅の滞在時間で、遅延が拡大している。
走りながら、時折集中を欠いていることが自分でもわかる。その都度ラムネを口に含む。この後、安全第一で行きたいカイ立場の岩場や、鼻曲山からの急降下が控えている。その手前の一本杉で、カフェイン入りのジェルと東吾野で購入したマルチビタミンドリンクでリフレッシュを図る。
難所を通過し桂木観音に近づいた頃、雨が降ってきた。もう降ることはないだろうと高をくくっていたので意外であった。ザックに入れてきたレインウェアを着用。
4度目の桂木観音(関門31時間30分)。34時間18分で通過。
経験上、サンピアまであと1時間半。ということは、35時間にも間に合わなかったなぁ。六角ベンチ手前では滑らないように注意してゆく。足元ばかり見ていたら、いつの間にか六角ベンチを通過し沢を下るところまで来ていた。
大高取山の長い下りを経て、梅の駅のトイレに寄り、あとは平地でサンピアへ向かう。
サンピアIN(関門33時間00分)。
最勝寺のあたりでふと時計を見ると、20:20。
8:32スタートだったから、20:32で36時間の計算だ。あと12分あるのか。残りは1.5kmくらいのはず。
ジョグをわずかにスピードアップ。坂も走って登りきり、計時終了。
36時間00分。ギリギリ「35時間台を死守」できればまだ良かったのだが、そこまでの余力はありませんでした。
Classic Challenge カテゴリー3、カテゴリー2は失敗、カテゴリー1はどうにか達成、という結果でした。今年はSさん・Oさんの二人がそれぞれカテゴリー1にチャレンジして見事完走。主催者だけDNFとならずにホッとしました。
昨年のFKTでは37時間台だったので、1時間半ほどの記録更新として、FKTに申請しておこうと思います。このまま毎年1時間半ずつ縮めていけたら、3年くらいで33時間には…届かないかなぁ。
完走後、Garminからは「狂気の沙汰」と言われました。
「ready steady go」をクルマの中で聴く。
“ここで立ち止まるような時間はないさ ready steady go”
100マイルレースであり、かつ、スピードレースでもある、彩の国にぴったりの曲ではないだろうか?
肌寒いくらいの雨の土曜日。
天気予報では夜から小雨になるが、昼間は強く降ることもありそうだ。北ステージは終始レインウェアを着て行動することになるだろう。レインウェアの下には長袖Tシャツとタイツを着用して、肌が直接レインウェアに触れないようにする。暑さに備えて、秘密兵器「空調リュック」を投入予定だったのだが、使わずに済みそうだ。
ドリンクはミナト製薬のスポーツ麦茶750ccと真水500cc。スポーツ麦茶には途中自販機で麦茶などを補充しながら行く。お茶系ドリンクなら混ざってもあまり気にならない。真水は負傷時の洗浄用を兼ねる。
北ステージ
8:32、サンピアをスタート。
今シーズンの北ステージ一周では、10時間を切ることすらできなかった。トータル33時間の目標に対してはお話にならない。
先のことは考えず、とにかくその時点でできる限りのスピードで進み、貯金を積み上げる。北ステージではそれしかない。
くぬぎむら(関門2時間20分)。前傾姿勢と重心に気をつけることで、スピードの割に楽に進めている。1時間43分で立ち寄らずに通過。
新柵山を越え、西平運動場でトイレと自販機を利用。慈光寺に向けて坂を登る。走って登れない傾斜になってもピッチを細かくして心肺機能の出力を一定以上に保つよう心がける。
堂平山(関門4時間50分)。ときがわトレッキングコース上の藪がひどい箇所は直登した。4時間05分で到着、トイレに寄る。空腹は感じていないが、昼時なので補給食をとる。自販機で麦茶を満タンにし、伊藤園のゆず炭酸を飲む。
白石車庫へトレイルで降る。“転がるように前へ”を表現したくて、動画を撮りながら走る(転がらなくてよかった)。 経塚バス停の自販機はパス。涼しいので水分補給が少なくて済む。旧定峰峠(北ステージ最遠点)で証拠写真を撮る。
定峰峠(関門6時間10分)。5時間27分。第一回大会では6時間を過ぎてから関門ギリギリで入り、それでも「今ここにいるだけでエリートランナーだよ…」と言われたのだった。この先補給箇所がないので、自販機でイオンウォーターのミニボトルを予備に購入、ザックに突っ込んでから進む。
無人の白石峠に到着。これで北ステージの難所は超えたことになる。舗装路で高篠峠を通過し、大野峠のパラグライダー発射台登りにかかる。登りの間に補給食の残りを食べておく。
ここからはClassic Challenge 以外でも慣れ親しんだ大野峠〜刈場坂峠〜飯盛峠区間である。刈場坂峠のトイレのほかは立ち止まりもしていない。
飯盛峠(関門8時間20分)。7時間37分で通過。
大平尾根から馬場へ下る。雨脚が強まって、馬場のトレイルはぬかるみ、水たまりとなっていた。水たまりを避けて路肩を走っていたため、一瞬分岐を間違えたかと不安になる。すぐに硯水の標識が出てきて安堵した。
竹林を抜けヘッドライトを取り出す。夕刻だがまだ暗い森の中で点灯する程度だ。
そろそろザックに入れた予備のドリンクを頼ってもいいはずだったが、結局予備を飲み干したのはトレイルからあじさい街道に抜けた後、サンピアに向かうまでの路上であった。
(あじさい街道沿いの斜面にメガソーラーが建設されているが、この雨で道路に赤土が流出しており、何らか対策が必要と思われる)
ちなみに、北ステージの間は時計は一切見ていない。一喜一憂していたら「その時点でできる限りのスピードで進み、貯金を積み上げる」ことができないからだ。
サンピアIN(関門10時間00分)。門の直前で、町が放送している夕刻のチャイムが聞こえる。ということは、おそらく17:30か。あと2分でサンピアの坂を登り切れば…17:32で9時間ジャストということか!
9時間00分で北ステージを終える。自己ベストである。
南ステージ①
サンピア到着前に、次のステージのために何をするか?は予定を立てていた。
- バナナを食べる
- 缶コーヒーを飲む
- ゴミの処分
- スポーツ麦茶の補充
- 消費した補給食の補充
- ソックスの交換(シューズはどうせ濡れるのでそのまま行く)
- 上半身の着替え
- 天気予報のチェック
- GPSウォッチの充電
大高取山への登りの登山道は木の根で区切られた階段状の箇所が多く、水たまりができやすい。替えたばかりのソックスもすぐに濡れてしまった。南ステージの途中、どこかで一度ソックスを絞って履き直そう。
水道のある桂木観音までは1時間少々なので、リスタート時に満タンのドリンクは必要ない(Sさん直伝)。大高取山の登りはわりと厳しいので、少しでも軽いほうがありがたいのだ。
桂木観音(関門11時間20分)。10時間46分。この時点で再び時計は見ていないが、北ステージで貯金ができたので心の余裕はある。ドリンクを満タンにし、グレープフルーツジュースを飲んで出発。
玄家の方へ下る滑りやすいトレイル。わかっていても右足が滑った。左足で踏ん張ろうとした瞬間、ふくらはぎが攣りそうになる。とっさに力を抜いて倒れるに任せ、衝撃を逃がそうと転がる。幸い怪我はしなかった。
バス通りから火の見下で四寸道の方へ入る。ヘッドライトの明かりの隅に、四つ足の獣の姿が映る。危険な野犬か⁉︎と明かりを向けると、3頭の仔を連れたイノシシだった(これはこれで危険だが)。すぐに民家の敷地を駆け抜けて山の方へ消えていった。
だらだら登る四寸道。だがここでスピードを落とさず関八州見晴台までたどり着くことが重要だ。再度、走って登れない傾斜では細かいピッチを心がける。四寸道途中の藪はSさんが整備してくれていたので快適に通過できた。
関八州見晴台に到達しても一息もつかず、すぐに高山不動への降りにかかる。どうせ雨で何も見晴らせないのだ。
高山不動(関門13時間00分)。自販機が撤去されたので、トイレ以外にやることはない。が、せっかく屋根のある箇所なので、通過時間を投稿しておく。12時間32分。以後、北ステージとは方針を変えて関門ごとに時計を見てゆく。
西吾野へ降りるパノラマコースは夏の間に草刈りがされていることを確認済だ。急カーブの先が崩落しているので、突っ込まないように気をつける。
西吾野から子の権現〜竹寺の区間でやるべきことを考える。これまで、Classic Challengeで竹寺の関門を突破できたことはない。子の権現は自販機もトイレもあって休憩に便利だが、滞在時間は最小にして竹寺を目指すべきだ。しかし、竹寺より手前で何らかの補給をしておかないと、東吾野まで自販機がない。そこで、
- 西吾野の国道の自販機でワンドリンク飲んでから行く
- 子の権現では麦茶の補充、予備のミニボトル購入だけにして飲食しない
- 竹寺の東屋で予備のミニボトルと補給食で夕食、ライトの電池交換、トイレ利用
西吾野の国道から森坂峠のトレイルに入る。昨年は雨の中、ここで方向を見失い、だいぶ時間と気力をロストしたのだった。今年は、夏の間に少し草刈りを行い、問題なく進めた(湿地の草むらではあるので、足が濡れるのは仕方がない)。すぐ脇では轟音を立てて雨水が流れている。
竹寺(関門15時間00分)。計画通り、子の権現を通過したのが14時間10分、竹寺には14時間46分で到着。初の関門突破である。補給とトイレを済ませて再出発。できればこのまま吾那神社の関門に間に合うように行きたい。
天王山は竹寺側から行くとそこまで厳しい登りではない。むしろ下りの急傾斜が要注意だ。
下りきった集落の緩やかな登り舗装路を、長久保坂の入り口まで走る。こういうロードに出ると、つい力を抜いて歩いてしまいがちだが、タイムに関してはそれが命取りになるのだ。
長久保坂を越え、前坂を登って飯能アルプス区間へ突入する。大高山と天覚山では証拠写真を撮っておこうと思う。雨の夜では何が何だかわからないかもしれないが。
やはり、飯能アルプスは長く感じる。特に後半だ。しかし、改めて地図上で確認すると、「竹寺〜天王山〜栃屋谷〜飛村〜前坂」と、「前坂〜大高山〜天覚山〜東吾野駅」は、ほぼ同距離だ。「距離を長く感じるのは、道中の特徴・区切りを把握していないからだ」という経験則に従うと、大高山の後に現れる大岩分岐から天覚山までの区間をしっかり記憶しておく必要があるかもしれない。
さて、補給に便利なのは東吾野駅だが、関門の設定は吾那神社である。
- 駅ではトイレ利用とドリンク補充のみ
- 吾那神社でソックス履き直しと飲食を行う
- 天気予報をチェックし、問題なければレインウェアを脱ぐ
ということにする。
吾那神社(関門17時間20分)。残念ながら到着は20分遅れの17時間40分でカテゴリー3の全CPの関門突破は成らず、であった。
だが、トータル33時間以内のカテゴリー2なら望みは消えていない。あるいは、第二回大会以降の制限時間である35時間以内も区切りの目標としてはいいだろう。通常なら、ここからサンピアまで4時間で帰れるはずなのだ。何より、Classic Challenge の主催者として、100マイルの完走はやり切るべきではないか。
ふやけた足に固く絞ったソックスを履き直し、レインウェアをしまってユガテに向けて山道を登って行く。小雨は降っているが、ひどくなることはなく、レインウェアを脱いで体感温度がちょうどよくなった。
桂木観音(関門19時間40分)。少し東の空が白み始めている。ちょうど05:00である。一晩寝なくても不思議と眠くはないのだ。カフェインとアドレナリンなのだろう。20時間28分で到着。
ちなみに、第一回大会で桂木観音エイドに関門時間内に到着した選手はいない(吾那神社の関門は2〜3人が突破している)。
トイレに寄ってすぐに出発、サンピアに着いてからの手順を考える。
- GPSウォッチの充電
- バナナを食べる
- ゴミの処分
- スポーツ麦茶の補充
- 消費した補給食の補充
- ソックスの交換・シューズの交換
- 上下ともに着替え
- キャップも濡れていないものに交換
- ふくらはぎと膝に湿布
- レインウェア(たぶん使わない)を乾いた薄手のものに交換
ハイキングコースをオーパーク方面から六角ベンチ方面へ乗り換える。この先はトレイルがコケで滑りやすかったな、と今シーズンの南ステージ一周を思い出した瞬間、滑って尻餅をついてしまった。まあいいでしょ、着替えるし。
サンピアIN(関門21時間00分)。到着は22時間ちょうど。トータル33時間は無理っぽいが、35時間なら望みはある。今と同じくらいのペースで12時間半くらいで帰って来ればいいのだ。
南ステージ②
着替えに手間取ったりして、約35分でエイドアウト。
例によって水分少なめの状態で桂木観音を目指す。夜半からは大雨ではなかったので、大高取山の水たまりはすっかり引いていた。反面、活動を始めた蜘蛛の巣が煩瑣である。
桂木観音(関門22時間25分)。23時間53分で到着。
南ステージ①の終了時点で1時間だった遅延が、1時間半に拡大している。第一回大会の関門設定は、エイド滞在時間を考慮しない超タイトなスケジュールだった、というわけか。
トイレを利用し、ボトルを満たし、コーヒーを飲んで出発。昨夜と同じところで転倒しないように注意する。
四寸道から林道猿岩線へ抜けて、関八州見晴台への登りにかかろうというところで、谷側の崖を林道に上がってくる人がいた。今回初めて見かけた登山者である。谷の水量・轟音は相当なものなのに、そこを下から詰めてきたとはたいしたものだ。
高山不動(関門24時間15分)。25時間49分到着。お坊さんが朝の掃除中であった。一声かけてトイレを借りる。
改めて、西吾野〜子の権現〜竹寺でやるべきことを考える。
- 西吾野の国道の自販機でワンドリンク飲んでから行く
- 補給食の食欲がわかないので、子の権現の茶屋で蕎麦など食べて行く(麦茶の補充、予備のミニボトル購入)
- 竹寺は通過
- B. 竹寺の本堂で食事がすぐにできそうだったら利用する
- C. 竹寺の本堂でドリンクが買えそうだったら(自販機は撤去済)買い、補給食を流し込む
竹寺(関門26時間30分)に、28時間05分で到着。
東屋に貼ってある飲食メニューを見ると、要予約の蕎麦セットや一杯500円のコーヒーなどであり、スルーするしかなさそうだった。そのまま茅の輪をくぐって失礼する。竹寺の境内に3分もいなかったのは、自分史上初なんじゃないだろうか(今年春までは自販機もあったので)。
天王山を降り、中沢のトイレに寄る。郵便局前の水道でボトルを満たす。
結局、食事をとれていないので、大高山に登りきったら飲食をすることに決める。
飯能アルプスの次に補給できるのは東吾野駅だ。チェックポイントではないが、すでに関門オーバーしているので、それはもういい。トイレとドリンク補充、ヘッドライトの再装着。気分転換に何か食べるものが自販機にないか?と見たらラムネがあった! このラムネがこのあとの長い無補給トレイルで心の支えになってくれる。
吾那神社(関門29時間00分)。31時間18分で通過、あと4時間ほどで終わるはずだ。大高山と東吾野駅の滞在時間で、遅延が拡大している。
走りながら、時折集中を欠いていることが自分でもわかる。その都度ラムネを口に含む。この後、安全第一で行きたいカイ立場の岩場や、鼻曲山からの急降下が控えている。その手前の一本杉で、カフェイン入りのジェルと東吾野で購入したマルチビタミンドリンクでリフレッシュを図る。
難所を通過し桂木観音に近づいた頃、雨が降ってきた。もう降ることはないだろうと高をくくっていたので意外であった。ザックに入れてきたレインウェアを着用。
4度目の桂木観音(関門31時間30分)。34時間18分で通過。
経験上、サンピアまであと1時間半。ということは、35時間にも間に合わなかったなぁ。六角ベンチ手前では滑らないように注意してゆく。足元ばかり見ていたら、いつの間にか六角ベンチを通過し沢を下るところまで来ていた。
大高取山の長い下りを経て、梅の駅のトイレに寄り、あとは平地でサンピアへ向かう。
サンピアIN(関門33時間00分)。
最勝寺のあたりでふと時計を見ると、20:20。
8:32スタートだったから、20:32で36時間の計算だ。あと12分あるのか。残りは1.5kmくらいのはず。
ジョグをわずかにスピードアップ。坂も走って登りきり、計時終了。
36時間00分。ギリギリ「35時間台を死守」できればまだ良かったのだが、そこまでの余力はありませんでした。
まとめ
Classic Challenge カテゴリー3、カテゴリー2は失敗、カテゴリー1はどうにか達成、という結果でした。今年はSさん・Oさんの二人がそれぞれカテゴリー1にチャレンジして見事完走。主催者だけDNFとならずにホッとしました。
昨年のFKTでは37時間台だったので、1時間半ほどの記録更新として、FKTに申請しておこうと思います。このまま毎年1時間半ずつ縮めていけたら、3年くらいで33時間には…届かないかなぁ。
完走後、Garminからは「狂気の沙汰」と言われました。
勝手にトレニックワールドin彩の国(第6回・中止)
彩の国100マイル、二年連続中止となってしまいました。これを書いている今日は6/19ですが、予定当日に(雨でも)走っている方もいることでしょう。ほぼひと月前のことを思い出しながら書きます。
今年はサハラ仲間の完走サポートをしようと、Nさんのペーサーとしてエントリーしていたのですが、本番を迎えることができませんでした。
当初の大会予定日は2021/5/22(土)~23(日)。それが緊急事態宣言を受けて2021/06/19(土)~20(日)に延期されました。本来は5月開催ができない時点で中止のはずが、主催者の努力で6月に延期となっていたのでした(結果的には、さらに緊急事態宣言の延長により、中止)。
約一か月前の2021/5/22(土)。この時点では選手も開催を信じて準備しているので、大会前の最後のロング練習の機会です。私は本番で100マイル走れないこともあり、この日に大会コースで自主100マイルを走りました。
大会用に宿泊予約していたサンピアにNさん・Hさんとともに前泊。二人は本番で100マイルに何度目かの挑戦をするランナーです。7:00のスタートには、駅伝チームでエントリーしているSさんたちも練習のため集合していて、健闘を誓い合う。
天候は小雨。Nさんによるとこの後もずっと降り続くそうだ。私とHさんはYahoo天気を見て「じき止むだろう」と高をくくっていた(もちろん雨の用意はしていたが)。
序盤はHさんが引っ張ってくれる。彼も「今日は100マイルを走る」というつもりで臨んでいる。彼とはひと月前に彩の国100マイルを走り切っている(北ステージの笠山・赤木をショートカットするコース)。本番に向けての経験としては、もう十分なのでは?という気がしないでもない。
飯盛峠へ登る途中で、雨が少し強くなってきたのでレインウェアを着用。暑さと濡れの兼ね合いが難しい判断だ。
当初、最後尾にいたNさんが、刈場坂峠までに先頭へ出た。彼は今日は北ステージのみ、淡々と同じペースを維持して走るということだった。危なげなく走っている姿を見ると、「今年の完走は間違いないだろう」と思わされる。
グリーンラインをロードで秩父へ走って向かう知り合いに遭遇。あと数時間で武甲温泉という彼らに比べると、私たちの行く先は果てしなく遠い。
トイレに寄って出発。
大野峠に着く前に、Hさんが「ちょっと調子が上がらない」と言って先を譲ってくれた。いつも20~30kmすぎてから調子出てくる人だから心配ないだろう。
Nさんを追って、今年の新コース・丸山を登って下る。脇道の多い複雑な下りも、もう迷わず行ける(小道の分岐があるたびに右をとる)。高篠峠へのロード上り返しで補給をしようかと思ったが、まだ時間が早い。11時にもなっていない。まとまった補給は堂平山でとることにした。
白石峠にはNさんより先に降り立った。すぐに堂平山への登りにかかる。電波塔の工事を一か所迂回。雨はやんでいるが霧が出ている。
堂平山はエイドではなくなったので、本番で立ち寄る必要はないが、トイレと水と自販機を利用し、食料をとる。Nさんはこの間に先へ進んだようだ(遠くから呼びかけてくれたそうだが、聞こえなかった)。私も10分弱の滞在で先へ進む。
笠山を越え、赤木のロードで新コースの入口へ向かう。入口までは堂平山から1時間強。
第2回大会で降りてきたガレ道を登ってゆく。ひどい急登ではないが、予想通り時間のかかる登りだ。ただ、下りでない分、ガレ具合はそれほど気にならなかった。
尾根に乗ってからは前と同じコース。金嶽へ向かうこの区間を苦手というランナーは多い。私がサポートする予定のNさんもその一人だ。ペーサーがつけるのは南ステージだけだから、ここは選手自身に何とかしてもらうほかない。まあ一周目だから気力体力ともに問題ないだろうと思うが。
新コースの登り口から50分で到着した。Nさんに追いつくつもりだったが、後ろ姿も見えない。トイレに寄って出発。
西平へ下り、自販機を利用。コーヒーも飲みたかったが、今は水分・塩分補給の方を重視。
新柵山への登り口に差し掛かると、トレニックワールドのTさんがクルマで応援に来てくれていた。ドリンク・軽食のエイドを出してくれている。
絶好のタイミングである。ありがたくコーヒーをごちそうになる。
カフェインで気持ちもリフレッシュ、新柵山を越えるパワーをいただきました。
トイレに寄ってすぐ出発。メッセンジャーの連絡によると、Hさんは15分~30分程度の差でついてきている。
檥峠へと続く林道から斜面を下る。踏み跡がだいぶ明瞭になっているが、雨のため滑る。
椚平から大築山側へと川を越える新しい橋も雨でぬれていてよく滑る。
Hさんから「1周だけでやめておく」とメッセージ。コンディション悪いときは無理せず、本番で思う存分走ってもらいたい。
竹林を過ぎまた雨脚が強まる。
雨乞山に向かう途中でNさんから「間に合わないよ!急いで!」とメッセンジャーの着信。
彼の言っている「北ステージを9時間」という目標は、今年のコースでは相当頑張らないと無理である。このときすでに8:43経過。
雨乞山あたりでレインウェアを再着用。メッセージに励まされ、最勝寺への下りを、何とか滑って転ばないように気をつけつつスピードは落とさないように走る。地面はほぼ川。
途中、試走ランナー(だと思う)を一人追い抜いた。
ロードに出て、さて、私は一人で二周目に行くべきか?と考えながらサンピアへ向かう。
考えたのは危険の有無だ。気力・体力・装備・天候。どれか一つでも不安があるならやめるべきだろう。
天気予報を再確認して、警報レベルの予報でなければ続行しよう、と判断基準を決めたところでサンピア到着。
天気予報を見ると、この後は快方に向かう予報なので、リスタートに向けて準備する。
いつもの私なら、滞在時間は最小限にしてすぐに次の周回に向かうが、さすがに雨でぬれすぎた。
ロッカールームで着替え、食事をとり、GPSを充電する。最近、遅ればせながらランニングGPSウォッチを使い始めたのだ。それも、ペーサーとして必要な情報を素早く把握できるようにするための一環だ。 そこへNさん到着。先にゴールしていると思っていたのに、途中一か所ロストした際に、私が前に出たらしい。「間に合わないよ!」は彼自身の悲鳴だったのか。
まだ雨が降っている。長袖Tシャツの上にレインウェアを着た状態でリスタート。
サンピアの入口で、ちょうど戻ってきたHさんとすれ違う。
ほかにも数グループがサンピアに帰ってくるところだった。
レインウェアは上着だけ着用、下は短パンである。
雨が少し冷たく感じるくらいが、火照った足にはちょうど良く感じられた。
今朝顔合わせした駅伝チームは南ステージの試走予定だった。そろそろ帰ってくるのではないか?と出会うことを期待していたが、誰とも会わなかった。
鼻曲山を越えて北向地蔵へ向かう。
途中の岩場は細心の注意を払う。
ヘッドライトを点灯するが、霧に光が散ってしまうので手持ちに切り替える。
レインウェアが少々暑いが、夜中を越える前にシャツをぬらしてしまうと、冷えが来た時に危険だ。着用したまま進む。
結局リスタート後2:42で北向地蔵に到着、屋根の下でぬれたソックスを絞って履き直す。
気を取り直してユガテへ下る。
福徳寺へ下るトレイルも、個人的にはよく転倒するポイントなので慎重に通過。
kinocaは今日は通過するのみ。
東吾野駅に立ち寄り、自販機とトイレを利用する。
雨が弱まり、この後の天覚山への登りでは汗をかきそうだったので、レインウェアをしまう。こういう作業が屋根の下でできるのはありがたい。
飯能アルプスの途中、大岩で少し休憩した記憶がある。持っている食料を少し口にしたかもしれない。ちなみに、行動食のメインはサラダチキンとBASE BREADである。 BASE BREADには野菜やチーズ、ジャムなどを挟んで準備して持ち歩いている。
前坂を下り、長久保坂を越え、郵便局前の水道で顔を洗う。トイレにもよってから天王山へ。登り口の地面は心配したほどの水たまりではなかった。
竹寺の自販機はまだ復活していなかった。その代わり、日中は本堂で飲み物が買えるようだ。
エイドがないので通過、子の権現に向かう。
17:02で子の権現到着。自販機にホットがあるのがありがたい。身支度等で15分ほど滞在。
西吾野に出てほぼ18:00経過。あと4時間あればサンピアまで着くはずだ。今年の関門は22:30だったから、まず大丈夫だろう。
駅裏の急登。余計なことは考えず、高山不動でトイレと洗顔することを目当てに登る。トンネル入り口からグリーンラインに出るまでがちょうど1時間。
エイド予定箇所のグリーンライン上には何もないので、そのまま関八州見晴台へ進む。
まだ霧雨が降っており、視界が良くない。見晴台からも何も見晴らせなかった。よくあることだ。
ここから先は下り基調となり、南ステージの難所はすべて越えたといってよい。
四寸道を下り、バス通りを横切り、むらさき山方面へ登ってもまだ、周囲は暗い。夜中の3時を過ぎたところだ。
このころにはやっと霧雨も上がり、ヘッドライトを装着していた。
玄家の方へトレイルを下っていくと、前方にもヘッドライトが見える。二人連れの試走ランナーだった。こんな天気のこんな時間に試走かよ、と、自分のことを棚に上げて意外さを感じる。
彼らはどうやら完全に歩きになっていたようで、先を譲ってくれた。
ここからは、飛ばせば1時間でサンピアまで戻れることを実証済み。
だが、三周目の余力を残しておくため、ほどほどに走ってゆく。
そろそろ明るくなりはじめる時間帯に到着。
再度ロッカールームへ。
着替え、食事をとり、GPSを充電する。
もう雨は降らないはずなので、ここでシューズとソックスを替える。
30分弱でリスタート。
直後にNさんから「今どこですか?」メッセージが。そういえば、彼は後泊していたんだった。
サンピア到着前に連絡しておけば会えたのだが…。夜間の頻繁なメッセージは迷惑だろうと控えめにしていたのが裏目に出た。
リスタート後1時間少々で到着。三周目にしてはいい感じの出力だ。乾いたソックスとシューズを今までとっておいたことも奏功した。
桂木観音の駐車場には、Nさんがクルマで応援に来てくれていた。帰宅前にわざわざ寄ってくれたのだ。
ほぼ誰とも会わないナイトランの後、知った人の顔に会えるというのは嬉しいものだ。
これだけで脚が軽くなったような気がする。
ここからユガテまでを2時間ほどで順調にこなす。
福徳寺への下りで、同じ方向へ下るランナーに追いついた。彩の国の試走ではなく、東吾野からは別の方向へ行くようだった。
エイドがないので通過。
東吾野では、サハラ仲間に遭遇。最近、この近辺で山岳ガイドみたいなことをよくやっているらしい。ここで会うのは3度目(3週連続?)である。
このとき、サイラーのIさんが棒ノ折山からの展望を写真で送ってくれた。彼も夜中からの登山中だったのだ。そちらの山の上はまだ霧が出ているようで、埼玉側は真っ白で見えないようだった。
こちらは晴れて暑くなりそうだ。
次の補給ポイントが遠いので、自販機でドリンクを追加購入し、750ml+500mlのフラスクとは別に持ってゆく。
天覚山に上り切ったのは9時18分。すでに山頂には数人の登山者がいた。
手近な山頂で朝食をとるような山行も楽しいだろうな。
急坂を種木に降りる。バス通りを横断するところでランナーの後姿を見かけたが、別の方角へ行ってしまった。
天神山への登り返し、登戸までの長い尾根、鉄塔沿いに竹寺へと続く道。追加のドリンクを持ってきてよかった。
竹寺まで鉄塔4本を数えて通過。
トイレに立ち寄る。エイド予定場所まではわざわざ下りないことにした。
牛頭天王本尊前の手水の水で顔を洗い頭を冷やす。
子の権現の自販機に立ち寄り、ベンチで昼食。トレイルランナー、登山者ともに多数。10分弱で立ち上がり、西吾野へ向かう。出がけに売店のおばさんが「いつもの人は一緒じゃないの?」と声をかけてくれた。Nさんがいつも寄ってるからね。
29:57、駅裏の急登へトンネル突入。
高山不動の水道で頭を冷やし、ボトルにも水を補給する。
後ろから来た女性ランナーに「この水飲めるんですか」と聞かれる。「何も注意が書いてないんで飲んでます」とありのままに返す。
グリーンラインに上がったところで、先ほどの女性ランナーが先に立った。結構速い人みたいだ。
同じころ追いついてきた男性ランナーも関八州見晴台までの間で、追い抜いてゆく。
ああ、私が遅くなってるのか。
まあしょうがない。
どうやら右アキレス腱が炎症気味だ。
竹寺あたりから予兆があったが、西吾野からの急登で負担をかけすぎたか。
これ以上傷めないように、足置きを工夫しながら進む。
四寸道からバス通りに抜けるトレイルで、ちょっとアキレス腱の調子を見つつ靴ひもを締めなおしていると、後ろから軽快に走る人がやってきた。
ちょうど止まっていたところなのですぐに道を譲る…というか、速すぎるな、これは走ってても抜かれるわ。
と思ってよく見たら、トップ選手の長田さんでした。今年彩の国にエントリーしていたので試走ですね。フォームが美しい。
木の周りで100マイル走ったと話題になったこの方です(本当の凄さはそこじゃないと思いますが)。
トイレの外に水道があるので、ちょっとアキレス腱をアイシングしてから行くことにする。
ソックスとシューズを履きなおしている間に、ブヨの攻撃を受けた。
後ろから試走ランナーが一人やってきて、挨拶する。自主100マイル中と言ったら、「感動した!」と缶コーヒーをおごってくれた。どこかでお返ししなきゃな。
私の方が先に桂木観音を出たのだが、彼もすぐに追いついてきた。桂木山から幕岩あたりは、後ろからのあおりを受けてそれなりのスピードで進むことができた。
大高取山への登り返しで、先へ行ってもらった。
ロードはジョグで、サンピアへの坂道もジョグってゴール。
桂木観音で一緒になったランナーは駐車場で帰り支度をしているところだった。「完走おめでとうございます!」と声をかけてくれた。
ありがとうございます。本番で声かけてください。完走したところで一杯おごります!(…っていうつもりだったんだが本番はなくなっちゃいましたね)
100マイルといいつつ、今年のコースでは実は160kmに満たなかったようです。距離はガーミンのForeAthlete245による計測(Ultra Tracモード。桂木観音〜サンピア間の距離など、周回によって数値は違ってますね)です。
このくらいの時間で回れれば、35時間制限は何とかなる、という感覚は確かな安定したものになりました。
Nさんのペーサーを任されたことで、これまでとは違った視点で彩の国を考え直すことができました。
自分に(彼に)足りないものは何か、自分が(彼が)強化できることは何か、選手の状態は三周目にはどうなっているだろうか、全体を通してどういうレースプランが考えられるのか、など。
結果は中止となってしまいましたが、見方を変えて得るものの多い1年間でした。
この経験は、これよりも距離が長く、これよりも暑い時期に、これよりも短い33時間で、Classic Challenge を完走できるかどうか?の挑戦に生かしたいと思います。う〜ん生かせるかな?w
今年はサハラ仲間の完走サポートをしようと、Nさんのペーサーとしてエントリーしていたのですが、本番を迎えることができませんでした。
当初の大会予定日は2021/5/22(土)~23(日)。それが緊急事態宣言を受けて2021/06/19(土)~20(日)に延期されました。本来は5月開催ができない時点で中止のはずが、主催者の努力で6月に延期となっていたのでした(結果的には、さらに緊急事態宣言の延長により、中止)。
約一か月前の2021/5/22(土)。この時点では選手も開催を信じて準備しているので、大会前の最後のロング練習の機会です。私は本番で100マイル走れないこともあり、この日に大会コースで自主100マイルを走りました。
北ステージ
サンピアout 00:00/0.0km
大会用に宿泊予約していたサンピアにNさん・Hさんとともに前泊。二人は本番で100マイルに何度目かの挑戦をするランナーです。7:00のスタートには、駅伝チームでエントリーしているSさんたちも練習のため集合していて、健闘を誓い合う。
天候は小雨。Nさんによるとこの後もずっと降り続くそうだ。私とHさんはYahoo天気を見て「じき止むだろう」と高をくくっていた(もちろん雨の用意はしていたが)。
序盤はHさんが引っ張ってくれる。彼も「今日は100マイルを走る」というつもりで臨んでいる。彼とはひと月前に彩の国100マイルを走り切っている(北ステージの笠山・赤木をショートカットするコース)。本番に向けての経験としては、もう十分なのでは?という気がしないでもない。
飯盛峠へ登る途中で、雨が少し強くなってきたのでレインウェアを着用。暑さと濡れの兼ね合いが難しい判断だ。
当初、最後尾にいたNさんが、刈場坂峠までに先頭へ出た。彼は今日は北ステージのみ、淡々と同じペースを維持して走るということだった。危なげなく走っている姿を見ると、「今年の完走は間違いないだろう」と思わされる。
刈場坂峠 02:20/13.6km
グリーンラインをロードで秩父へ走って向かう知り合いに遭遇。あと数時間で武甲温泉という彼らに比べると、私たちの行く先は果てしなく遠い。
トイレに寄って出発。
大野峠に着く前に、Hさんが「ちょっと調子が上がらない」と言って先を譲ってくれた。いつも20~30kmすぎてから調子出てくる人だから心配ないだろう。
Nさんを追って、今年の新コース・丸山を登って下る。脇道の多い複雑な下りも、もう迷わず行ける(小道の分岐があるたびに右をとる)。高篠峠へのロード上り返しで補給をしようかと思ったが、まだ時間が早い。11時にもなっていない。まとまった補給は堂平山でとることにした。
白石峠 03:42/21.4km
白石峠にはNさんより先に降り立った。すぐに堂平山への登りにかかる。電波塔の工事を一か所迂回。雨はやんでいるが霧が出ている。
堂平山はエイドではなくなったので、本番で立ち寄る必要はないが、トイレと水と自販機を利用し、食料をとる。Nさんはこの間に先へ進んだようだ(遠くから呼びかけてくれたそうだが、聞こえなかった)。私も10分弱の滞在で先へ進む。
笠山を越え、赤木のロードで新コースの入口へ向かう。入口までは堂平山から1時間強。
第2回大会で降りてきたガレ道を登ってゆく。ひどい急登ではないが、予想通り時間のかかる登りだ。ただ、下りでない分、ガレ具合はそれほど気にならなかった。
尾根に乗ってからは前と同じコース。金嶽へ向かうこの区間を苦手というランナーは多い。私がサポートする予定のNさんもその一人だ。ペーサーがつけるのは南ステージだけだから、ここは選手自身に何とかしてもらうほかない。まあ一周目だから気力体力ともに問題ないだろうと思うが。
慈光寺 06:07/33.6km
新コースの登り口から50分で到着した。Nさんに追いつくつもりだったが、後ろ姿も見えない。トイレに寄って出発。
西平へ下り、自販機を利用。コーヒーも飲みたかったが、今は水分・塩分補給の方を重視。
新柵山への登り口に差し掛かると、トレニックワールドのTさんがクルマで応援に来てくれていた。ドリンク・軽食のエイドを出してくれている。
絶好のタイミングである。ありがたくコーヒーをごちそうになる。
カフェインで気持ちもリフレッシュ、新柵山を越えるパワーをいただきました。
くぬぎむら 07:19/40.3km
トイレに寄ってすぐ出発。メッセンジャーの連絡によると、Hさんは15分~30分程度の差でついてきている。
檥峠へと続く林道から斜面を下る。踏み跡がだいぶ明瞭になっているが、雨のため滑る。
椚平から大築山側へと川を越える新しい橋も雨でぬれていてよく滑る。
Hさんから「1周だけでやめておく」とメッセージ。コンディション悪いときは無理せず、本番で思う存分走ってもらいたい。
竹林を過ぎまた雨脚が強まる。
雨乞山に向かう途中でNさんから「間に合わないよ!急いで!」とメッセンジャーの着信。
彼の言っている「北ステージを9時間」という目標は、今年のコースでは相当頑張らないと無理である。このときすでに8:43経過。
雨乞山あたりでレインウェアを再着用。メッセージに励まされ、最勝寺への下りを、何とか滑って転ばないように気をつけつつスピードは落とさないように走る。地面はほぼ川。
途中、試走ランナー(だと思う)を一人追い抜いた。
サンピアin 09:16/53.3km
ロードに出て、さて、私は一人で二周目に行くべきか?と考えながらサンピアへ向かう。
考えたのは危険の有無だ。気力・体力・装備・天候。どれか一つでも不安があるならやめるべきだろう。
- 気力…ある
- 体力…残っている
- 装備…問題ない
- 天候…?
天気予報を再確認して、警報レベルの予報でなければ続行しよう、と判断基準を決めたところでサンピア到着。
南ステージ(前坂)
サンピアout 10:00/53.3km
天気予報を見ると、この後は快方に向かう予報なので、リスタートに向けて準備する。
いつもの私なら、滞在時間は最小限にしてすぐに次の周回に向かうが、さすがに雨でぬれすぎた。
ロッカールームで着替え、食事をとり、GPSを充電する。最近、遅ればせながらランニングGPSウォッチを使い始めたのだ。それも、ペーサーとして必要な情報を素早く把握できるようにするための一環だ。 そこへNさん到着。先にゴールしていると思っていたのに、途中一か所ロストした際に、私が前に出たらしい。「間に合わないよ!」は彼自身の悲鳴だったのか。
まだ雨が降っている。長袖Tシャツの上にレインウェアを着た状態でリスタート。
サンピアの入口で、ちょうど戻ってきたHさんとすれ違う。
ほかにも数グループがサンピアに帰ってくるところだった。
レインウェアは上着だけ着用、下は短パンである。
雨が少し冷たく感じるくらいが、火照った足にはちょうど良く感じられた。
桂木観音11:03/59.5km
今朝顔合わせした駅伝チームは南ステージの試走予定だった。そろそろ帰ってくるのではないか?と出会うことを期待していたが、誰とも会わなかった。
鼻曲山を越えて北向地蔵へ向かう。
途中の岩場は細心の注意を払う。
ヘッドライトを点灯するが、霧に光が散ってしまうので手持ちに切り替える。
レインウェアが少々暑いが、夜中を越える前にシャツをぬらしてしまうと、冷えが来た時に危険だ。着用したまま進む。
結局リスタート後2:42で北向地蔵に到着、屋根の下でぬれたソックスを絞って履き直す。
気を取り直してユガテへ下る。
福徳寺へ下るトレイルも、個人的にはよく転倒するポイントなので慎重に通過。
kinoca 13:37/70.5km
kinocaは今日は通過するのみ。
東吾野駅に立ち寄り、自販機とトイレを利用する。
雨が弱まり、この後の天覚山への登りでは汗をかきそうだったので、レインウェアをしまう。こういう作業が屋根の下でできるのはありがたい。
飯能アルプスの途中、大岩で少し休憩した記憶がある。持っている食料を少し口にしたかもしれない。ちなみに、行動食のメインはサラダチキンとBASE BREADである。 BASE BREADには野菜やチーズ、ジャムなどを挟んで準備して持ち歩いている。
前坂を下り、長久保坂を越え、郵便局前の水道で顔を洗う。トイレにもよってから天王山へ。登り口の地面は心配したほどの水たまりではなかった。
竹寺 16:23/81.0km
竹寺の自販機はまだ復活していなかった。その代わり、日中は本堂で飲み物が買えるようだ。
エイドがないので通過、子の権現に向かう。
17:02で子の権現到着。自販機にホットがあるのがありがたい。身支度等で15分ほど滞在。
西吾野に出てほぼ18:00経過。あと4時間あればサンピアまで着くはずだ。今年の関門は22:30だったから、まず大丈夫だろう。
駅裏の急登。余計なことは考えず、高山不動でトイレと洗顔することを目当てに登る。トンネル入り口からグリーンラインに出るまでがちょうど1時間。
高山不動尊 19:01/91.6km
エイド予定箇所のグリーンライン上には何もないので、そのまま関八州見晴台へ進む。
まだ霧雨が降っており、視界が良くない。見晴台からも何も見晴らせなかった。よくあることだ。
ここから先は下り基調となり、南ステージの難所はすべて越えたといってよい。
四寸道を下り、バス通りを横切り、むらさき山方面へ登ってもまだ、周囲は暗い。夜中の3時を過ぎたところだ。
このころにはやっと霧雨も上がり、ヘッドライトを装着していた。
玄家の方へトレイルを下っていくと、前方にもヘッドライトが見える。二人連れの試走ランナーだった。こんな天気のこんな時間に試走かよ、と、自分のことを棚に上げて意外さを感じる。
彼らはどうやら完全に歩きになっていたようで、先を譲ってくれた。
桂木観音20:30/100.0km
ここからは、飛ばせば1時間でサンピアまで戻れることを実証済み。
だが、三周目の余力を残しておくため、ほどほどに走ってゆく。
サンピアin 21:36/106.2km
そろそろ明るくなりはじめる時間帯に到着。
再度ロッカールームへ。
南ステージ(登戸)
サンピアout 22:03/106.2km
着替え、食事をとり、GPSを充電する。
もう雨は降らないはずなので、ここでシューズとソックスを替える。
30分弱でリスタート。
直後にNさんから「今どこですか?」メッセージが。そういえば、彼は後泊していたんだった。
サンピア到着前に連絡しておけば会えたのだが…。夜間の頻繁なメッセージは迷惑だろうと控えめにしていたのが裏目に出た。
桂木観音 23:13/112.5km
リスタート後1時間少々で到着。三周目にしてはいい感じの出力だ。乾いたソックスとシューズを今までとっておいたことも奏功した。
桂木観音の駐車場には、Nさんがクルマで応援に来てくれていた。帰宅前にわざわざ寄ってくれたのだ。
ほぼ誰とも会わないナイトランの後、知った人の顔に会えるというのは嬉しいものだ。
これだけで脚が軽くなったような気がする。
ここからユガテまでを2時間ほどで順調にこなす。
福徳寺への下りで、同じ方向へ下るランナーに追いついた。彩の国の試走ではなく、東吾野からは別の方向へ行くようだった。
kinoca 25:32/123.3km
エイドがないので通過。
東吾野では、サハラ仲間に遭遇。最近、この近辺で山岳ガイドみたいなことをよくやっているらしい。ここで会うのは3度目(3週連続?)である。
このとき、サイラーのIさんが棒ノ折山からの展望を写真で送ってくれた。彼も夜中からの登山中だったのだ。そちらの山の上はまだ霧が出ているようで、埼玉側は真っ白で見えないようだった。
こちらは晴れて暑くなりそうだ。
次の補給ポイントが遠いので、自販機でドリンクを追加購入し、750ml+500mlのフラスクとは別に持ってゆく。
天覚山に上り切ったのは9時18分。すでに山頂には数人の登山者がいた。
手近な山頂で朝食をとるような山行も楽しいだろうな。
急坂を種木に降りる。バス通りを横断するところでランナーの後姿を見かけたが、別の方角へ行ってしまった。
天神山への登り返し、登戸までの長い尾根、鉄塔沿いに竹寺へと続く道。追加のドリンクを持ってきてよかった。
竹寺まで鉄塔4本を数えて通過。
竹寺 28:12/133.9km
トイレに立ち寄る。エイド予定場所まではわざわざ下りないことにした。
牛頭天王本尊前の手水の水で顔を洗い頭を冷やす。
子の権現の自販機に立ち寄り、ベンチで昼食。トレイルランナー、登山者ともに多数。10分弱で立ち上がり、西吾野へ向かう。出がけに売店のおばさんが「いつもの人は一緒じゃないの?」と声をかけてくれた。Nさんがいつも寄ってるからね。
29:57、駅裏の急登へトンネル突入。
高山不動の水道で頭を冷やし、ボトルにも水を補給する。
後ろから来た女性ランナーに「この水飲めるんですか」と聞かれる。「何も注意が書いてないんで飲んでます」とありのままに返す。
高山不動尊 30:58/144.0km
グリーンラインに上がったところで、先ほどの女性ランナーが先に立った。結構速い人みたいだ。
同じころ追いついてきた男性ランナーも関八州見晴台までの間で、追い抜いてゆく。
ああ、私が遅くなってるのか。
まあしょうがない。
どうやら右アキレス腱が炎症気味だ。
竹寺あたりから予兆があったが、西吾野からの急登で負担をかけすぎたか。
これ以上傷めないように、足置きを工夫しながら進む。
四寸道からバス通りに抜けるトレイルで、ちょっとアキレス腱の調子を見つつ靴ひもを締めなおしていると、後ろから軽快に走る人がやってきた。
ちょうど止まっていたところなのですぐに道を譲る…というか、速すぎるな、これは走ってても抜かれるわ。
と思ってよく見たら、トップ選手の長田さんでした。今年彩の国にエントリーしていたので試走ですね。フォームが美しい。
木の周りで100マイル走ったと話題になったこの方です(本当の凄さはそこじゃないと思いますが)。
桂木観音32:40/152.6km
トイレの外に水道があるので、ちょっとアキレス腱をアイシングしてから行くことにする。
ソックスとシューズを履きなおしている間に、ブヨの攻撃を受けた。
後ろから試走ランナーが一人やってきて、挨拶する。自主100マイル中と言ったら、「感動した!」と缶コーヒーをおごってくれた。どこかでお返ししなきゃな。
私の方が先に桂木観音を出たのだが、彼もすぐに追いついてきた。桂木山から幕岩あたりは、後ろからのあおりを受けてそれなりのスピードで進むことができた。
大高取山への登り返しで、先へ行ってもらった。
サンピアin 33:54/159.5km
ロードはジョグで、サンピアへの坂道もジョグってゴール。
桂木観音で一緒になったランナーは駐車場で帰り支度をしているところだった。「完走おめでとうございます!」と声をかけてくれた。
ありがとうございます。本番で声かけてください。完走したところで一杯おごります!(…っていうつもりだったんだが本番はなくなっちゃいましたね)
まとめ
100マイルといいつつ、今年のコースでは実は160kmに満たなかったようです。距離はガーミンのForeAthlete245による計測(Ultra Tracモード。桂木観音〜サンピア間の距離など、周回によって数値は違ってますね)です。
北ステージ | 09:16 |
---|---|
南ステージ(前坂) | 11:36 |
南ステージ(登戸) | 11:54 |
このくらいの時間で回れれば、35時間制限は何とかなる、という感覚は確かな安定したものになりました。
Nさんのペーサーを任されたことで、これまでとは違った視点で彩の国を考え直すことができました。
自分に(彼に)足りないものは何か、自分が(彼が)強化できることは何か、選手の状態は三周目にはどうなっているだろうか、全体を通してどういうレースプランが考えられるのか、など。
結果は中止となってしまいましたが、見方を変えて得るものの多い1年間でした。
この経験は、これよりも距離が長く、これよりも暑い時期に、これよりも短い33時間で、Classic Challenge を完走できるかどうか?の挑戦に生かしたいと思います。う〜ん生かせるかな?w
トレラン大会中の滑落事故対応振り返り
以下、自分の反省のために記録として残します。
一本杉から鼻曲山へ向かう。前後にランナーはいない。おそらく10位あたり。
カイ立場の岩場に差し掛かる。
岩場注意の標識を横目に、尾根の右側、高さ1mくらいの岩の、人ひとりが通れる程度の隙間に足を進める。ここを抜けると、右斜面から左斜面へと岩尾根を越えられる。
越えようとしたとき、目の前に男性が立っていた。
「こんにちは」
と挨拶して左斜面へ過ぎようとすると、
「気をつけてください! 危ないですよ!」
「あ、スタッフさんですか?」
「いえ、違いますけど、滑落した人がいるので」
岩尾根の左下を覗き込むと30mくらい下の方に寝た姿勢で動いている人影が。服装からしてランナーだ。
「え〜!まじか」
まずは不安定な岩場を抜けてからだ。
左斜面を通過して少し広い岩の上でハイカーの男性と会話。
聞き取った内容は、
念のため本部に連絡した方が良さそうだ。
大声で滑落者に呼びかける。
「どこか出血してないですか〜」
(頭から出血、下半身が動かない)
「寒くないですか!」
(今、上を着たところです)
会話ができることで少しほっとする。
ちなみに、切り立った場所なので、自分が降りていくことは控えた方が良さそうだった。(※1)
ザックから電話番号の書いてある地図を取り出し、スマホで発信。
14:14
「ランナーです。私、今カイ立場の岩場にいるんですが〜」
「あ、滑落ですね」
「はい、伝わってますか?」
「もうスタッフが向かってます」
一応、自分が知っている情報を伝える。(※2)
「レースは続行ですので進んでください」
お、おぅ〜マジで?
まあ専門家に任せた方がいいのは間違いないが。
この電話の間に2人ほどランナー通過。
14:18
滑落者に「スタッフが向かってますので!」と声をかけ、後ろ髪を引かれながら出発。
1kmくらい進んだところで、こちらに向かってくるスタッフ2名と出会う。
「こっちから行くと右側、オレンジ色のジャケットを着てます。大声かければ応えてくれるはず」
と伝える。
このとき、スタッフが2名だけ、ロープなどは持ってなさそうだったのが不安だった。
〜結構軽く考えているのでは?
〜捻挫をテーピングすれば動けるとか、そういう事故じゃないぞ?
まあ、すでに救急車のサイレンも聞こえていることだし、と自分を納得させて周回ゴールへ向かう。
14:56
本部のオーパークへの下り坂でスマホに着信。
「本部です。さっきの滑落者のゼッケン番号、何番でしたっけ?」
メモとってないのか! 俺もだけど! 記憶を頼りに答える。
止まって電話してる間にもランナー通過。
15:08
周回ゴールのエイドに到着、ドリンクを補給して2周目に向かおうとすると。
スタッフがまだ現場についていない、と本部が大騒ぎ。
「現場を見たなら無線で場所を指示してくれ」と頼まれる…というより「なんでそのまま来るんだ、人命第一だろ!」と咎められる。ハイ、その通りです、後悔してます。(※3)
無線で岩場の場所を説明する。先ほどすれ違った、現場に向かったKさんもコースを熟知しているので、私の説明ですぐにわかったようだ。
その後、本部からさらに救援スタッフを組織して出発するか?という話になり、私もそこへ組み込まれたのでレースどころではなくなった。が、結局これは出発せず。そうこうするうちに救急隊員が現地に到着し、救助活動を始めたのだった。
そして救急隊からレース中止の要請。もはやスタッフの一員となった私は、2周目に向かうランナーたちにお詫びと事情説明をして止まってもらう係になってました。
しばらくして、ランナーの中にいた山岳医のS医師とスタッフの中にいたY看護師を現場へ派遣し、搬送前の医療行為をしてもらおう、ということになり、私は現場への案内役となりました。
クルマで救急車が待機している峠へ。現場指揮官に断りを入れて、こちらへ搬送中の一隊に向かってトレイルを辿ります。
やがて、担架を人力で搬送する救急隊と行き合う。温かい飲み物が欲しいかも、と峠に上がる前にS医師が各種ドリンクを仕入れていたのだが、本人は「水が欲しい」と。
狭い山道を負傷者を安全に搬送するのって、本当に大変ですね。周囲の我々は「段差があります」と知らせたり、飛び出た枝を押さえて邪魔にならないようにするくらいのことしかできません。走れば15分もかからないところを、1時間以上かかって救急車までたどり着いたのではないでしょうか。力を振り絞って対応してくれる救急隊員の皆さんには頭が下がります。
そして、救急車に収容されるときになって初めて、周囲から彼の本名を知らされる。以前レース中に話をしたこともある人だったではないか…なんとか回復して走れるようになるといいのだが。
※1 むやみに滑落場所へと下りなかったのは良い判断だったと思う。しかし、現場に残るという判断をしていれば、救援を待つ間になんとか足場を作って下へ降りられただろう。そして負傷者の近くに立ったとき、少しは彼の役に立てたのではないか。
※2 言葉で伝えるのは限界がある。私としては、「命に別条はないが、重傷で困難な状況」という意図だったが、そうは伝わっていなかったようだ。電波が入るんだから、写真を撮って送ればよかった。GPSの座標も取得してメールで送ればよかった。
※3 自分の能力も勘案した上で、あるべき対応はこうではなかったか。
(1)本部へ電話連絡(やった)
(2)さらに詳細を写真、メール等で伝える(やれてない)
(3−a)その場でスタッフを待つ宣言をし、待つ間に負傷者への接近を試み、エマージェンシーシートとウェアを提供し保温、ゼッケンと氏名確認(やれてない)
(3−b)救急隊員の入山方向を確認し、案内に向かう(やれてない)
つくづく自分が情けない。
2020/11/28
一本杉から鼻曲山へ向かう。前後にランナーはいない。おそらく10位あたり。
カイ立場の岩場に差し掛かる。
岩場注意の標識を横目に、尾根の右側、高さ1mくらいの岩の、人ひとりが通れる程度の隙間に足を進める。ここを抜けると、右斜面から左斜面へと岩尾根を越えられる。
越えようとしたとき、目の前に男性が立っていた。
「こんにちは」
と挨拶して左斜面へ過ぎようとすると、
「気をつけてください! 危ないですよ!」
「あ、スタッフさんですか?」
「いえ、違いますけど、滑落した人がいるので」
岩尾根の左下を覗き込むと30mくらい下の方に寝た姿勢で動いている人影が。服装からしてランナーだ。
「え〜!まじか」
まずは不安定な岩場を抜けてからだ。
左斜面を通過して少し広い岩の上でハイカーの男性と会話。
聞き取った内容は、
- 警察には連絡済み
- 先に通ったランナーにも伝えた
- そのランナーは「エイドに連絡する」と言っていた
念のため本部に連絡した方が良さそうだ。
大声で滑落者に呼びかける。
「どこか出血してないですか〜」
(頭から出血、下半身が動かない)
「寒くないですか!」
(今、上を着たところです)
会話ができることで少しほっとする。
ちなみに、切り立った場所なので、自分が降りていくことは控えた方が良さそうだった。(※1)
ザックから電話番号の書いてある地図を取り出し、スマホで発信。
14:14
「ランナーです。私、今カイ立場の岩場にいるんですが〜」
「あ、滑落ですね」
「はい、伝わってますか?」
「もうスタッフが向かってます」
一応、自分が知っている情報を伝える。(※2)
- 頭を怪我しているけどひどい出血ではなさそう
- 下半身が動かないと言っている
- 上着を着ることや大声で会話することはできているので意識は正常
- 先に発見してくれたハイカーさんが警察に連絡済み
- ゼッケンはXXX番(これは電話の横からハイカーさんが教えてくれた)
「レースは続行ですので進んでください」
お、おぅ〜マジで?
まあ専門家に任せた方がいいのは間違いないが。
この電話の間に2人ほどランナー通過。
14:18
滑落者に「スタッフが向かってますので!」と声をかけ、後ろ髪を引かれながら出発。
1kmくらい進んだところで、こちらに向かってくるスタッフ2名と出会う。
「こっちから行くと右側、オレンジ色のジャケットを着てます。大声かければ応えてくれるはず」
と伝える。
このとき、スタッフが2名だけ、ロープなどは持ってなさそうだったのが不安だった。
〜結構軽く考えているのでは?
〜捻挫をテーピングすれば動けるとか、そういう事故じゃないぞ?
まあ、すでに救急車のサイレンも聞こえていることだし、と自分を納得させて周回ゴールへ向かう。
14:56
本部のオーパークへの下り坂でスマホに着信。
「本部です。さっきの滑落者のゼッケン番号、何番でしたっけ?」
メモとってないのか! 俺もだけど! 記憶を頼りに答える。
止まって電話してる間にもランナー通過。
15:08
周回ゴールのエイドに到着、ドリンクを補給して2周目に向かおうとすると。
スタッフがまだ現場についていない、と本部が大騒ぎ。
「現場を見たなら無線で場所を指示してくれ」と頼まれる…というより「なんでそのまま来るんだ、人命第一だろ!」と咎められる。ハイ、その通りです、後悔してます。(※3)
無線で岩場の場所を説明する。先ほどすれ違った、現場に向かったKさんもコースを熟知しているので、私の説明ですぐにわかったようだ。
その後、本部からさらに救援スタッフを組織して出発するか?という話になり、私もそこへ組み込まれたのでレースどころではなくなった。が、結局これは出発せず。そうこうするうちに救急隊員が現地に到着し、救助活動を始めたのだった。
そして救急隊からレース中止の要請。もはやスタッフの一員となった私は、2周目に向かうランナーたちにお詫びと事情説明をして止まってもらう係になってました。
しばらくして、ランナーの中にいた山岳医のS医師とスタッフの中にいたY看護師を現場へ派遣し、搬送前の医療行為をしてもらおう、ということになり、私は現場への案内役となりました。
クルマで救急車が待機している峠へ。現場指揮官に断りを入れて、こちらへ搬送中の一隊に向かってトレイルを辿ります。
やがて、担架を人力で搬送する救急隊と行き合う。温かい飲み物が欲しいかも、と峠に上がる前にS医師が各種ドリンクを仕入れていたのだが、本人は「水が欲しい」と。
狭い山道を負傷者を安全に搬送するのって、本当に大変ですね。周囲の我々は「段差があります」と知らせたり、飛び出た枝を押さえて邪魔にならないようにするくらいのことしかできません。走れば15分もかからないところを、1時間以上かかって救急車までたどり着いたのではないでしょうか。力を振り絞って対応してくれる救急隊員の皆さんには頭が下がります。
そして、救急車に収容されるときになって初めて、周囲から彼の本名を知らされる。以前レース中に話をしたこともある人だったではないか…なんとか回復して走れるようになるといいのだが。
反省点とかモヤモヤ
※1 むやみに滑落場所へと下りなかったのは良い判断だったと思う。しかし、現場に残るという判断をしていれば、救援を待つ間になんとか足場を作って下へ降りられただろう。そして負傷者の近くに立ったとき、少しは彼の役に立てたのではないか。
※2 言葉で伝えるのは限界がある。私としては、「命に別条はないが、重傷で困難な状況」という意図だったが、そうは伝わっていなかったようだ。電波が入るんだから、写真を撮って送ればよかった。GPSの座標も取得してメールで送ればよかった。
※3 自分の能力も勘案した上で、あるべき対応はこうではなかったか。
(1)本部へ電話連絡(やった)
(2)さらに詳細を写真、メール等で伝える(やれてない)
(3−a)その場でスタッフを待つ宣言をし、待つ間に負傷者への接近を試み、エマージェンシーシートとウェアを提供し保温、ゼッケンと氏名確認(やれてない)
(3−b)救急隊員の入山方向を確認し、案内に向かう(やれてない)
つくづく自分が情けない。
彩の国 Classic Challenge FKT
10/24-25、彩の国Classic Challenge に挑戦してきました。本来は夏の時期にやるもの(第1回大会が夏だったので)ですが、それは完走できなかったので、涼しい時期に再挑戦することにしました。
目標は、(1)できれば33時間。(2)間に合わなくてもとにかく全コース踏破。
早朝の小雨が上がり、虹ができる。幸先がいい。
朝食は自宅で牛乳と柿半分。高速を降りてコンビニでサンドイッチとコーヒー。
山に入る前、越辺川にカワセミがいた(飛び去ったところでほぼ写ってないけど)。雨乞山から大楠へ降りるところでハンターと行き合う。のどかというか、田舎というか。
くぬぎむらは本番レースのペースに近い1:49で通過、西平運動場のトイレを借り、自販機で補給する。
慈光寺を経て堂平山に4:09で到達、ここでも補給とトイレを済ませてすぐに通過。
白石車庫から経塚バス停までのロードは膝に響かないよう気をつけて走る。
旧定峰峠への登り返しでは何度か登山者とすれ違った。よく晴れた、涼しい登山日和である。ランニングにも適した気候で、北ステージ9.5時間のペースで順調に進んでいる。
定峰峠に5:45、この後は補給ポイントがないので、自販機でボトルを満たして行く。
大野峠の手前で、ペーサーの友人からFBメッセンジャーの応援メッセージを受け取る。南ステージを1周、無償で一緒に走ってくれるという奇特な人である。到着予定時間を伝え、南ステージ①のナイトランへの同行をお願いする。
グリーンラインの峠にはバイクツーリングの姿も多いが、白石峠も刈場坂峠も移動販売は出ていなかった。
7:49で飯盛峠を通過、この後は山影を通るので早めにヘッドライトを装着。9:03でトレイルからあじさい街道へ抜け、9:26でニューサンピアへ到着した。
快適なスピードで一周したタイムが、真夏に必死に飛ばして叩き出したタイムより早い。やはりこの企画の敵は真夏の低山の蒸し暑さなのか。
過去の実績として、南ステージは10時間台で一周できているので、「目標は10.5時間、ただし遅れても途中でやめない」とする。
1:05で桂木観音へ到着。緩やかな下りではまだ身体も軽快に動いており、「50km走った後とは思えない」とペーサーに乗せられる。
四寸道を登る間、遠くで花火の音が聞こえていた。関八州見晴台から見物できるか?と思ったが、それまでに終わってしまったようだ。しかし、美しい夜景は楽しめた。
2:50で高山不動尊へ到着、トイレに寄る。西吾野への下りはまあまあ調子よし。
国道の自販機でドリンクを補給し、森坂峠・子の権現を経て竹寺へ向かう。登りパートではややスピードが落ち気味だ。
5:02で竹寺に到着し、トイレに立ち寄る。暑い夏と違って水分をそれほど消費しないので、子の権現・竹寺ではドリンク補給はパスした。そろそろスポーツドリンク系の甘さが気持ち悪く感じている。天王山を降りた栃屋谷の水道でボトルを満たし、眠気覚ましに顔を洗う。ペーサーも東吾野のコーヒーを目当てに、眠気に耐えている。
さて、10.5時間で南ステージを回るためには、最低限6時間で天覚山には到着していないと難しい。しかし前坂ですでに6:14。調子が良ければ1時間かからずに天覚山まで行けるのだが、そこも1時間5分ほどかかってしまった。残念ながら目標タイムは未達成となりそうだ。
(そもそも第1回大会の竹寺の関門が15時間(05:00)なので、そこもアウトだった)
7:41、天覚山から尾根道コースで東吾野駅まで降り切り、トイレと自販機を利用する。駅前の自販機にはポテトチップがあるので塩分補給にもなる。ボトルのドリンクは麦茶系に切り替え、気持ち悪さの軽減を図る。
8:04で吾那神社を通過。ユガテ・北向地蔵への地味な登りを、ペーサーに引っ張られて55分でクリア。
アップダウンを繰り返し、桂木観音を目指す。途中、ヘッドライトの電池を替える。いつもなら1.5時間の区間だが、15分ほど余計にかかってしまった。10:04桂木観音到着。
トイレその他でしばし休憩。そして一度止まって固まり始めた身体には、桂木観音からの下りのロードがかなりのダメージと感じられる。膝に響く。
幕岩に到着した時刻はちょうど5時30分、美しい朝焼けの瞬間だった。
大高取山を越えて越生の住宅街に降り、サンピアへの到着は6時19分。タイムは12:39。ペーサーはここで離脱。すでに入浴できる時間になっていました。
痛みがあるので、歩きが多くなる予感。だが、サイラーになった第3回大会でも、南ステージ②はその状態だったのだ。丸一日歩けば帰って来れない距離ではない。
1:23で桂木観音へ到着。TWのスタッフ仲間・Kさんがトレラン仲間とともに集合していた。これからどこか走りに行くようだ。石段を降りる私を見て「100km走ってきたとは思えない」などと言われると、気持ちは前向きになる。水道で顔を洗い、出発。
関八州見晴台には多くの登山客の姿があった。3:00で高山不動尊を通過、西吾野の国道の自販機でドリンク補給。
子の権現で一休みしつつ昼食に持ってきた調理パンを食べる。竹寺に向かう途中で、サイラーを目指す顔なじみと行き会った。彼は今日は西吾野までだそうだ。お互い次回の健闘を誓って別れる。
竹寺到着は13時27分、リスタートから6:25が経過していた。
前周回に比べるとここまでで1時間20分ほど余計にかかっているが、それに比べると、前坂〜天覚山の区間は1時間10分と5分遅れ程度に収まった。朝方の眠い時間帯はスピードが落ちる・走れない、っていうことだろうか。
天覚山の山頂でヘッドライトを再装着、9:28で東吾野駅前に到着。トイレと補給を済ませて、吾那神社通過は9:48、16時50分だった。日が落ちて、ユガテへの登りで点灯が必要になった。日暮れ前にゴールする気満々だったんだけどなぁ。
北向地蔵まで約1時間はほぼ標準タイムだが、その先の桂木観音までに約2時間を要した。桂木観音で、1日走り終えたKさんたちにまた会えたら面白い、と思っていたが、到着時はすでに12:42が経過して20時近く。当然ながらKさんたちの車はなかった。
ここまでで北ステージのスタートから約36時間が経過している。21時頃にゴールできれば、と思っていたが少し過ぎそうだ。サンピアの日帰り入浴は22時までなので、ここからは時刻が気になる。
あまり長居せずに桂木観音を出たためか、下りのロードは前周回ほどきつく感じなかった。そのまま、遅いながらもできる限り走ってゴールを目指す。大高取山からの長い下りを無事下りきってロードへ。サンピアまで残り3kmも歩くことなく進み、南ステージ②を14:17、21時19分にゴール。この区間は平常通りの約1時間半に収めた。
トータル37:34、これまでに走った100マイルレースの中では最も長時間でした。
こんなのでよくもまあ、用足しのためにしゃがんだり、ロードのジョグを続けられたもんだ。
汗を流して車に乗ったら、まず目指すのはコンビニです。アイスコーヒーを購入して一気飲み、残った氷をビニール袋に入れてアキレス腱をアイシング。幸い左足は運転に関係ないので、そのまま冷やしながら帰宅しました。
目標は、(1)できれば33時間。(2)間に合わなくてもとにかく全コース踏破。
スタート前
両膝に痛みがあるので、体調は万全とは言えない。テーピングと痛み止めでしのぐ予定。早朝の小雨が上がり、虹ができる。幸先がいい。
朝食は自宅で牛乳と柿半分。高速を降りてコンビニでサンドイッチとコーヒー。
北ステージ
ファイントラックのアンダーウェアに長袖T、長タイツ。シューズはアルトラ KING MT2を履く。トイレを済ませて7時45分(00:00)にスタート。山に入る前、越辺川にカワセミがいた(飛び去ったところでほぼ写ってないけど)。雨乞山から大楠へ降りるところでハンターと行き合う。のどかというか、田舎というか。
くぬぎむらは本番レースのペースに近い1:49で通過、西平運動場のトイレを借り、自販機で補給する。
慈光寺を経て堂平山に4:09で到達、ここでも補給とトイレを済ませてすぐに通過。
白石車庫から経塚バス停までのロードは膝に響かないよう気をつけて走る。
旧定峰峠への登り返しでは何度か登山者とすれ違った。よく晴れた、涼しい登山日和である。ランニングにも適した気候で、北ステージ9.5時間のペースで順調に進んでいる。
定峰峠に5:45、この後は補給ポイントがないので、自販機でボトルを満たして行く。
大野峠の手前で、ペーサーの友人からFBメッセンジャーの応援メッセージを受け取る。南ステージを1周、無償で一緒に走ってくれるという奇特な人である。到着予定時間を伝え、南ステージ①のナイトランへの同行をお願いする。
グリーンラインの峠にはバイクツーリングの姿も多いが、白石峠も刈場坂峠も移動販売は出ていなかった。
7:49で飯盛峠を通過、この後は山影を通るので早めにヘッドライトを装着。9:03でトレイルからあじさい街道へ抜け、9:26でニューサンピアへ到着した。
快適なスピードで一周したタイムが、真夏に必死に飛ばして叩き出したタイムより早い。やはりこの企画の敵は真夏の低山の蒸し暑さなのか。
南ステージ①
車の中で上半身の着替えを行う。両膝はテーピングと痛み止めで大丈夫だが、膝をかばうせいか左のアキレス腱に痛みが出ている。湿布を当ててからソックスを履く。明け方は少し冷えそうなのでミレーの七分袖アンダーシャツにNIKEの長袖T、さらに薄手のTシャツを重ねる。シューズはアルトラKING MT1.5に履き替える。カップ麺、調理パン、バナナ、コーヒーで夕食とする。17時45分(00:00)にペーサーNさんとともにリスタート。1:05で桂木観音へ到着。緩やかな下りではまだ身体も軽快に動いており、「50km走った後とは思えない」とペーサーに乗せられる。
四寸道を登る間、遠くで花火の音が聞こえていた。関八州見晴台から見物できるか?と思ったが、それまでに終わってしまったようだ。しかし、美しい夜景は楽しめた。
2:50で高山不動尊へ到着、トイレに寄る。西吾野への下りはまあまあ調子よし。
国道の自販機でドリンクを補給し、森坂峠・子の権現を経て竹寺へ向かう。登りパートではややスピードが落ち気味だ。
5:02で竹寺に到着し、トイレに立ち寄る。暑い夏と違って水分をそれほど消費しないので、子の権現・竹寺ではドリンク補給はパスした。そろそろスポーツドリンク系の甘さが気持ち悪く感じている。天王山を降りた栃屋谷の水道でボトルを満たし、眠気覚ましに顔を洗う。ペーサーも東吾野のコーヒーを目当てに、眠気に耐えている。
さて、10.5時間で南ステージを回るためには、最低限6時間で天覚山には到着していないと難しい。しかし前坂ですでに6:14。調子が良ければ1時間かからずに天覚山まで行けるのだが、そこも1時間5分ほどかかってしまった。残念ながら目標タイムは未達成となりそうだ。
(そもそも第1回大会の竹寺の関門が15時間(05:00)なので、そこもアウトだった)
7:41、天覚山から尾根道コースで東吾野駅まで降り切り、トイレと自販機を利用する。駅前の自販機にはポテトチップがあるので塩分補給にもなる。ボトルのドリンクは麦茶系に切り替え、気持ち悪さの軽減を図る。
8:04で吾那神社を通過。ユガテ・北向地蔵への地味な登りを、ペーサーに引っ張られて55分でクリア。
アップダウンを繰り返し、桂木観音を目指す。途中、ヘッドライトの電池を替える。いつもなら1.5時間の区間だが、15分ほど余計にかかってしまった。10:04桂木観音到着。
トイレその他でしばし休憩。そして一度止まって固まり始めた身体には、桂木観音からの下りのロードがかなりのダメージと感じられる。膝に響く。
幕岩に到着した時刻はちょうど5時30分、美しい朝焼けの瞬間だった。
大高取山を越えて越生の住宅街に降り、サンピアへの到着は6時19分。タイムは12:39。ペーサーはここで離脱。すでに入浴できる時間になっていました。
南ステージ②
車の中で着替えを行う。左のアキレス腱と両膝にも湿布を貼る。膝固定のテーピングはその上から。ファイントラックのアンダーウェアに長袖T、長タイツ。少し寒く感じていたのでTシャツも重ね着する。カップ麺、調理パン、バナナ、コーヒー、豆乳の朝食。7時02分(00:00)にリスタート。痛みがあるので、歩きが多くなる予感。だが、サイラーになった第3回大会でも、南ステージ②はその状態だったのだ。丸一日歩けば帰って来れない距離ではない。
1:23で桂木観音へ到着。TWのスタッフ仲間・Kさんがトレラン仲間とともに集合していた。これからどこか走りに行くようだ。石段を降りる私を見て「100km走ってきたとは思えない」などと言われると、気持ちは前向きになる。水道で顔を洗い、出発。
関八州見晴台には多くの登山客の姿があった。3:00で高山不動尊を通過、西吾野の国道の自販機でドリンク補給。
子の権現で一休みしつつ昼食に持ってきた調理パンを食べる。竹寺に向かう途中で、サイラーを目指す顔なじみと行き会った。彼は今日は西吾野までだそうだ。お互い次回の健闘を誓って別れる。
竹寺到着は13時27分、リスタートから6:25が経過していた。
前周回に比べるとここまでで1時間20分ほど余計にかかっているが、それに比べると、前坂〜天覚山の区間は1時間10分と5分遅れ程度に収まった。朝方の眠い時間帯はスピードが落ちる・走れない、っていうことだろうか。
天覚山の山頂でヘッドライトを再装着、9:28で東吾野駅前に到着。トイレと補給を済ませて、吾那神社通過は9:48、16時50分だった。日が落ちて、ユガテへの登りで点灯が必要になった。日暮れ前にゴールする気満々だったんだけどなぁ。
北向地蔵まで約1時間はほぼ標準タイムだが、その先の桂木観音までに約2時間を要した。桂木観音で、1日走り終えたKさんたちにまた会えたら面白い、と思っていたが、到着時はすでに12:42が経過して20時近く。当然ながらKさんたちの車はなかった。
ここまでで北ステージのスタートから約36時間が経過している。21時頃にゴールできれば、と思っていたが少し過ぎそうだ。サンピアの日帰り入浴は22時までなので、ここからは時刻が気になる。
あまり長居せずに桂木観音を出たためか、下りのロードは前周回ほどきつく感じなかった。そのまま、遅いながらもできる限り走ってゴールを目指す。大高取山からの長い下りを無事下りきってロードへ。サンピアまで残り3kmも歩くことなく進み、南ステージ②を14:17、21時19分にゴール。この区間は平常通りの約1時間半に収めた。
トータル37:34、これまでに走った100マイルレースの中では最も長時間でした。
その後
まずは梅の湯へ。脱衣所でソックスを脱ぎ、アキレス腱の湿布をはがして目を疑う。痛かった部分が1cm以上盛り上がって、たんこぶのように腫れていた。こんなのでよくもまあ、用足しのためにしゃがんだり、ロードのジョグを続けられたもんだ。
汗を流して車に乗ったら、まず目指すのはコンビニです。アイスコーヒーを購入して一気飲み、残った氷をビニール袋に入れてアキレス腱をアイシング。幸い左足は運転に関係ないので、そのまま冷やしながら帰宅しました。
ひとりトレニックワールドin彩の国(第5回・中止)
彩の国100マイル、3年連続完走(前人未到)を今年の目標にしていたのだが、さすがのトレニックワールドも新型コロナウイルスの前に、あえなく中止を決定。
だが、元来トレイルランニングは風通しのいい屋外のスポーツであり、スタート・ゴールを除けば集団になることもない。大会が中止された場合、勝手に走る分にはむしろ感染リスクは限りなく低いのだ。
などと言い訳を並べるより、要するに走りたかったのである。これを走らなければ心身の調子が狂うだろ、というくらいに。
というわけで、大会当日の正規の時刻にサンピアをスタートして、全コースを走ってきました。以下はその記録です。
前夜から借りたレンタカーで、早朝家を出てサンピアへ向かう。宿泊、入浴、体育館は休業だが、テニスとゴルフは営業していた。
7:00ちょうどにスタート。越生の集落で散歩中の地元の方に挨拶、特に不審がられもせず、「よそ者は来るな」とも言われず、安堵する。
北ステージの新コースを全部通して走るのは、実は初めてだ。9時間で周回できるだろうか? 多少オーバーしても、南ステージの最後の部分が短くなっているから、帳尻は合うだろう。
北ステージの前半は好調。竹林で約1時間、飯盛峠で約2時間、全く問題のないペース。刈場坂峠では林道補修の工事中でトレイルからロードに出られないようにネットが張ってあった。工事区間でない箇所から峠の広場に下り、トイレに立ち寄る。
大野峠で約3時間、堂平山3時間55分。堂平山キャンプ場は6/30まで閉鎖を延長と掲示が出ていた。トイレは閉鎖中だが、自販機は稼働中。ドリンク1本その場で飲み干し、先を急ぐ。
この辺で、昼食用に持ってこようと思っていたサラダチキンと調理パンを車の中に置きっぱなしにしたことに思い当たる。まあ自作のトレイルバー、ジェル、ナッツ、塩熱タブレットでなんとかなるだろう。
ウグイスがさえずる人気のない山を走っていると、のどかさについ足を緩めそうになる。その度に「こんなところで歩くな、走るんだ!」と自分に言い聞かせる。ふと駄句が思い浮かび、あれこれ推敲しながら進んでいた。
本当に、なんで走ってるんだろうね!?
赤木の里で4時間55分、金嶽へ向かう尾根に上がるところで12:00の放送が聞こえた。慈光寺到着は12:50、これはかなり頑張った方だろう。試走会で引っ張られて、この区間を相当速く走ったときでもちょうど1時間だったはずだ。赤木の麓から55分は上出来である。
慈光寺からの新コースを気持ちよく降る。せっかく開拓されたコースが本番を迎えられないのは残念な限り。下りきった集落の自販機でドリンクを補充。幸い、それほど気温が高くなく日差しもないので、ドリンクの消費量は多くはない。だが、くぬぎむらから先がまだ長い。その間に不足することのないよう準備しておいた。
くぬぎむら到着は7時間5分、天然水で顔を洗う。ここからブナ峠方面への林道登りだ。ここらで、どうやら9時間切るのは難しい、ということに気がつく。
新コースで大まわりさせられた後、椚平の民家の庭先を暗い谷へ下って行く。住人の方に挨拶したら「橋が腐ってるから気をつけて」とお声かけいただく。
川を渡って大築山へ。小築山の山頂下を8時間で通過、時刻は15:00。竹林〜広見越〜雨乞山を過ぎてトレイル出口がほぼ9時間、ニューサンピアINは16:10でした。
まずはサンピアの売店でドリンクを購入、これはこれで一気に飲み干す。そして車の中で着替えと補給を行う。今度はサラダチキンと調理パンを忘れずにザックに。
ドリンクは750ml×2で、最近は片方を非常時の洗浄用に真水にしている。もう片方は北ステージは粉飴調合ドリンクだったが、ここからは自宅で作ってきた麦茶だ。
着替えは各ステージごとに全部替えられるように準備していた。南ステージは夜パートなので、ミレーの七分袖網シャツ+NIKEドライフィット長袖Tとした。まだちょっと暑いけど。シューズも新しい方のAltra KING MTに履き替える。
滞在約30分でサンピアOUT。越辺川沿いの遊歩道は通行止だったので、バス通りの路側帯を通行。2周目になると桂木観音まで1時間じゃ行けないんだよなぁ、でもこの区間で1時間半とかかけてたら絶望的だな、と思いそこそこ頑張る。桂木観音到着は案の定1時間10分後、17:50だった。トイレに寄って自販機のコーヒーを飲む。
昨年は東吾野到着後にライト装着したのだが、今年は北ステージも長かったしそうはいかないだろう。だが、意外と日が長く、19:00近くなってもまだ外は明るいのだ、ということに今更気がついた。在宅で19:00まで勤務時間だと外の様子を見る機会がないんですよね。オフィス出勤だったら自然に窓から外の明るさもわかるし、定時で外に出たときの明るさも体感するんだけど。
十二曲でロードに出るところで19:00、このあとユガテへのショートカット方面へ向かわないよう注意して進む(直近のHさんとの南夜間走で二人とも気の緩みか分岐で鎌北湖・スカリ山方面に向かわず省略してしまったのだ)。ユガテへ向かう途中の湧き水で顔を洗い頭を濡らす。
東吾野kinocaに13時間20:00到着、駅前の自販機とトイレに立ち寄る。
律儀にコース通りの踏切を渡って天覚山へ。本当は違う、って知ってて近い方の踏切で行ったら、終わってから絶対後悔するからね。
30分ほどで天覚山の肩に出て、そこから飯能アルプスを約1時間で前坂到着。昨年は前坂で約12時間だったから、2時間半余計にかかっている。うち1時間が北ステージの延長分だとすると、南ステージで各45分縮めなければ昨年と同じ記録にはならない。南ステージの短縮分が20分くらいだとすると、各25分合計50分昨年より遅くなるということか。なんとか35時間の制限時間以内、34時間前後っていうところだろうか。
天王山(仮称)下の公衆トイレに立ち寄る。天王山(仮称)の表示はまだ天王山のままだった。竹寺には15時間40分、22:40頃到着。
これまでの経験で、南ステージの後半はこんな時間割でいけると思っていた。すなわち、西吾野〜高山不動で1時間、高山不動〜四寸道出口で1時間、四寸道出口〜桂木観音で1時間、桂木観音〜ニューサンピアで1時間。つまり西吾野から南ステージゴールまでは調子よくいければ4時間、と見積もっていた。
一方、南ステージ(前坂)のゴールには制限時間(関門)がある。22時間、明け方5:00だ。ということは? 西吾野は遅くとも01:00に、できれば24:00には通過しておきたいのである。
この想定で、竹寺〜子の権現〜西吾野の区間を追い込んで走る。子の権現23:15、森坂峠から西吾野駅前の国道に出たところで24:00。ギリギリの綱渡りだ。国道の自販機でコーヒーを補給、ライトの電池を替えておく。
駅裏の急登を、前回のHさんとの南夜間走(そのときこの区間が快調だった)をイメージしながら登る。そこからパノラマコースに出るまでには複数のピークを超える。たったの3つだ!と言い聞かせる。
高山不動尊に17時間55分、少し縮めることができた。高山不動の自販機でオランジーナを選択したら、7UPが出てきた。まあ消去法で選んだ炭酸だからどうでもいいや、と飲み干す。
以前ナイトラン練習に来たときは、関八州見晴台で眠気に襲われ、下りでふらついて危なかった。今回は、そんなことはないようだ。と思ったら、越生駒ケ岳の下りで、左の脛を切り株に引っ掛けてしまう。昨年の本番と同じ状況。進歩がない。
ともかく四寸道出口には19時間、02:00に到着。桂木観音ではトイレに寄っておく。サンピアは宿泊営業していないので、夜間は施設が施錠されていると予想した。新コースで大高取山山頂03:15、ニューサンピアINは03:50、関門には間に合った。
バス停前の自販機でコーヒーを購入、車の中で朝食をとりつつ着替えと行動食の入れ替えを行う。おっと、小銭も補充しておかないと、途中でドリンクが買えない。
今日は暑くなりそうだ。南ステージを一周して、特に長袖・タイツである必要性は感じなかった(藪とか虫とか)ので、Tシャツ・短パンで行くことにする。シューズはそのままだがソックスを替えて履き直す。
滞在約40分でリスタート、時刻は4:30。ちょうど明るくなる頃である。もうライトは必要ない(遭難しない限り)。
3周目からは100マイル選手でも関門制限時間がある。確か3周目のリスタート時刻の関門が22時間、5:00だった。関門まで30分の結構冷や汗ものである。ただ、桂木観音までは1時間ちょいで行けば普通に関門には間に合うはずだ。
前周回同様、桂木観音には1時間10分で到着、問題なし。さて、この後の関門がわからない。完走はできるだろうけど、どうせならちゃんとレースの関門を突破しての完走にしたい。
練習仲間(彼らにだけはこのチャレンジを事前に知らせていた)にメッセンジャーで問い合わせると、Hさんがこの後の関門時間を教えてくれた。
うん、最後のやつはよく知ってる。トータルで35時間以内だよね。でも、私はレンタカーを20:00までに返却(新型コロナ対策のために営業時間短縮中)するためにもう少し早く、16:00とかに終わらせたいのですよ。
桂木観音での時刻が5:40、東吾野の関門は8:50ということは、3時間10分あるのか。いつもの調子なら問題ないはずだが、さすがに3周目だからどうかな? それともう一つ、西吾野からゴールまで4時間を見込むと、16:00フィニッシュするためには西吾野を12:00通過が目標だ。全体的に急がないとまずいな。
というわけで、だいぶ疲れた体ではあるのですが、一昨年のように膝を痛めてもいず、昨年のように内臓の調子も悪くはなかったので急ぎ気味で進みます。頑張った結果、北向地蔵24時間10分、東吾野kinocaは24時間50分7:50に到着。
このペースで行ければ時間内完走はできる。リスタート時に関門30分前だったのが1時間に伸ばせたのだから、この後も少しずつ縮めていけるはずだ。淡々とペースを守っていれば、ゴールの時間は向こうからやってくるはずだ。
東吾野駅から天覚山へ向かうところで駅を出てきたハイカーを一人追い抜く。頂上にはまだ誰もいなかった。
種木へ急坂を下る。天神山へ登り返す。昨年はこの辺りで腹を下して大変だった。高山から下る頃、遠くで銃声のような音と犬の鳴き声が聞こえた。間違って撃たれたら嫌だが、どうしようもない。
登戸までは誰とも会わずに進む。ここから竹寺に向かうマイナーな尾根道では2人ほどハイカーと行き合った。
竹寺再度到着は27時間40分、10:50。トイレに立ち寄り、本堂前の手水で顔と頭を濡らす。あと1時間10分で西吾野まで行けるか? ちょっとオーバーするくらいかな。
子の権現に到着、売店が開いている。ドリンクを補充するとともに、ガリガリ君を購入。売れ残りだから、と50円におまけしてくれた。
竹寺〜子の権現周辺では、逆方向に進むトレイルランナーや、他のハイカーをよく見かけた。意外とみんなマスクとかしてないね。
西吾野到着は29時間15分、12:15だった。上出来だろ、あと4時間で終われるぞ!
再びの駅裏の急登。「ピークは3つだけ、3つ目を超えたら尾根道が長い」と前周回のイメージを思い返しながら進む。
高山不動尊でトイレに寄る。水道の水をかぶる。グリーンライン上の茶屋(エイド予定箇所)で30時間20分、13:20。やはり前周回よりは時間がかかっている。昨年はここで「あと少しだから楽しんで!」という声援が嬉しかったことを思い出す。あと少しなんだぞ。
関八州見晴台を経て、四寸道を下る。越生駒ケ岳ではまた負傷しないように慎重に行く。今度は大丈夫だ。
桂木観音でちょうど32時間。時刻は15:00。この先が短縮された新コースなので、完走は見えた。トイレ前の水道で水をかぶり、最後の区間へ。
やはり南ステージのこの最後の区間は、新コースになってだいぶ負担が軽くなった気がする。金比羅神社には急坂を登るけれど長くはないし、幕岩までをあまり長く感じないで済む。幕岩から大高取山への登りも、九十九折で上り詰めるのではなく、緩やかに回り込んで行くので「最後にこんなにきついのかよ」という感情にはならない。
以後、誰とも会うことなくニューサンピア到着は16:17、合計タイムは33時間17分でした。
今年も才車商店はお休みだったので、サンピアの売店で、まずはドリンクとアイスを購入したのは言うまでもありません。
だが、元来トレイルランニングは風通しのいい屋外のスポーツであり、スタート・ゴールを除けば集団になることもない。大会が中止された場合、勝手に走る分にはむしろ感染リスクは限りなく低いのだ。
などと言い訳を並べるより、要するに走りたかったのである。これを走らなければ心身の調子が狂うだろ、というくらいに。
というわけで、大会当日の正規の時刻にサンピアをスタートして、全コースを走ってきました。以下はその記録です。
北ステージ
前夜から借りたレンタカーで、早朝家を出てサンピアへ向かう。宿泊、入浴、体育館は休業だが、テニスとゴルフは営業していた。
7:00ちょうどにスタート。越生の集落で散歩中の地元の方に挨拶、特に不審がられもせず、「よそ者は来るな」とも言われず、安堵する。
北ステージの新コースを全部通して走るのは、実は初めてだ。9時間で周回できるだろうか? 多少オーバーしても、南ステージの最後の部分が短くなっているから、帳尻は合うだろう。
北ステージの前半は好調。竹林で約1時間、飯盛峠で約2時間、全く問題のないペース。刈場坂峠では林道補修の工事中でトレイルからロードに出られないようにネットが張ってあった。工事区間でない箇所から峠の広場に下り、トイレに立ち寄る。
大野峠で約3時間、堂平山3時間55分。堂平山キャンプ場は6/30まで閉鎖を延長と掲示が出ていた。トイレは閉鎖中だが、自販機は稼働中。ドリンク1本その場で飲み干し、先を急ぐ。
この辺で、昼食用に持ってこようと思っていたサラダチキンと調理パンを車の中に置きっぱなしにしたことに思い当たる。まあ自作のトレイルバー、ジェル、ナッツ、塩熱タブレットでなんとかなるだろう。
ウグイスがさえずる人気のない山を走っていると、のどかさについ足を緩めそうになる。その度に「こんなところで歩くな、走るんだ!」と自分に言い聞かせる。ふと駄句が思い浮かび、あれこれ推敲しながら進んでいた。
旅人よ/先を急ぐは/何故(なにゆえ)と/長閑(のどか)な山の/問ふ法華経(ホーホケキョ)
本当に、なんで走ってるんだろうね!?
赤木の里で4時間55分、金嶽へ向かう尾根に上がるところで12:00の放送が聞こえた。慈光寺到着は12:50、これはかなり頑張った方だろう。試走会で引っ張られて、この区間を相当速く走ったときでもちょうど1時間だったはずだ。赤木の麓から55分は上出来である。
慈光寺からの新コースを気持ちよく降る。せっかく開拓されたコースが本番を迎えられないのは残念な限り。下りきった集落の自販機でドリンクを補充。幸い、それほど気温が高くなく日差しもないので、ドリンクの消費量は多くはない。だが、くぬぎむらから先がまだ長い。その間に不足することのないよう準備しておいた。
くぬぎむら到着は7時間5分、天然水で顔を洗う。ここからブナ峠方面への林道登りだ。ここらで、どうやら9時間切るのは難しい、ということに気がつく。
新コースで大まわりさせられた後、椚平の民家の庭先を暗い谷へ下って行く。住人の方に挨拶したら「橋が腐ってるから気をつけて」とお声かけいただく。
川を渡って大築山へ。小築山の山頂下を8時間で通過、時刻は15:00。竹林〜広見越〜雨乞山を過ぎてトレイル出口がほぼ9時間、ニューサンピアINは16:10でした。
南ステージ(前坂)
まずはサンピアの売店でドリンクを購入、これはこれで一気に飲み干す。そして車の中で着替えと補給を行う。今度はサラダチキンと調理パンを忘れずにザックに。
ドリンクは750ml×2で、最近は片方を非常時の洗浄用に真水にしている。もう片方は北ステージは粉飴調合ドリンクだったが、ここからは自宅で作ってきた麦茶だ。
着替えは各ステージごとに全部替えられるように準備していた。南ステージは夜パートなので、ミレーの七分袖網シャツ+NIKEドライフィット長袖Tとした。まだちょっと暑いけど。シューズも新しい方のAltra KING MTに履き替える。
滞在約30分でサンピアOUT。越辺川沿いの遊歩道は通行止だったので、バス通りの路側帯を通行。2周目になると桂木観音まで1時間じゃ行けないんだよなぁ、でもこの区間で1時間半とかかけてたら絶望的だな、と思いそこそこ頑張る。桂木観音到着は案の定1時間10分後、17:50だった。トイレに寄って自販機のコーヒーを飲む。
昨年は東吾野到着後にライト装着したのだが、今年は北ステージも長かったしそうはいかないだろう。だが、意外と日が長く、19:00近くなってもまだ外は明るいのだ、ということに今更気がついた。在宅で19:00まで勤務時間だと外の様子を見る機会がないんですよね。オフィス出勤だったら自然に窓から外の明るさもわかるし、定時で外に出たときの明るさも体感するんだけど。
十二曲でロードに出るところで19:00、このあとユガテへのショートカット方面へ向かわないよう注意して進む(直近のHさんとの南夜間走で二人とも気の緩みか分岐で鎌北湖・スカリ山方面に向かわず省略してしまったのだ)。ユガテへ向かう途中の湧き水で顔を洗い頭を濡らす。
東吾野kinocaに13時間20:00到着、駅前の自販機とトイレに立ち寄る。
律儀にコース通りの踏切を渡って天覚山へ。本当は違う、って知ってて近い方の踏切で行ったら、終わってから絶対後悔するからね。
30分ほどで天覚山の肩に出て、そこから飯能アルプスを約1時間で前坂到着。昨年は前坂で約12時間だったから、2時間半余計にかかっている。うち1時間が北ステージの延長分だとすると、南ステージで各45分縮めなければ昨年と同じ記録にはならない。南ステージの短縮分が20分くらいだとすると、各25分合計50分昨年より遅くなるということか。なんとか35時間の制限時間以内、34時間前後っていうところだろうか。
天王山(仮称)下の公衆トイレに立ち寄る。天王山(仮称)の表示はまだ天王山のままだった。竹寺には15時間40分、22:40頃到着。
これまでの経験で、南ステージの後半はこんな時間割でいけると思っていた。すなわち、西吾野〜高山不動で1時間、高山不動〜四寸道出口で1時間、四寸道出口〜桂木観音で1時間、桂木観音〜ニューサンピアで1時間。つまり西吾野から南ステージゴールまでは調子よくいければ4時間、と見積もっていた。
一方、南ステージ(前坂)のゴールには制限時間(関門)がある。22時間、明け方5:00だ。ということは? 西吾野は遅くとも01:00に、できれば24:00には通過しておきたいのである。
この想定で、竹寺〜子の権現〜西吾野の区間を追い込んで走る。子の権現23:15、森坂峠から西吾野駅前の国道に出たところで24:00。ギリギリの綱渡りだ。国道の自販機でコーヒーを補給、ライトの電池を替えておく。
駅裏の急登を、前回のHさんとの南夜間走(そのときこの区間が快調だった)をイメージしながら登る。そこからパノラマコースに出るまでには複数のピークを超える。たったの3つだ!と言い聞かせる。
高山不動尊に17時間55分、少し縮めることができた。高山不動の自販機でオランジーナを選択したら、7UPが出てきた。まあ消去法で選んだ炭酸だからどうでもいいや、と飲み干す。
以前ナイトラン練習に来たときは、関八州見晴台で眠気に襲われ、下りでふらついて危なかった。今回は、そんなことはないようだ。と思ったら、越生駒ケ岳の下りで、左の脛を切り株に引っ掛けてしまう。昨年の本番と同じ状況。進歩がない。
ともかく四寸道出口には19時間、02:00に到着。桂木観音ではトイレに寄っておく。サンピアは宿泊営業していないので、夜間は施設が施錠されていると予想した。新コースで大高取山山頂03:15、ニューサンピアINは03:50、関門には間に合った。
南ステージ(登戸)
バス停前の自販機でコーヒーを購入、車の中で朝食をとりつつ着替えと行動食の入れ替えを行う。おっと、小銭も補充しておかないと、途中でドリンクが買えない。
今日は暑くなりそうだ。南ステージを一周して、特に長袖・タイツである必要性は感じなかった(藪とか虫とか)ので、Tシャツ・短パンで行くことにする。シューズはそのままだがソックスを替えて履き直す。
滞在約40分でリスタート、時刻は4:30。ちょうど明るくなる頃である。もうライトは必要ない(遭難しない限り)。
3周目からは100マイル選手でも関門制限時間がある。確か3周目のリスタート時刻の関門が22時間、5:00だった。関門まで30分の結構冷や汗ものである。ただ、桂木観音までは1時間ちょいで行けば普通に関門には間に合うはずだ。
前周回同様、桂木観音には1時間10分で到着、問題なし。さて、この後の関門がわからない。完走はできるだろうけど、どうせならちゃんとレースの関門を突破しての完走にしたい。
練習仲間(彼らにだけはこのチャレンジを事前に知らせていた)にメッセンジャーで問い合わせると、Hさんがこの後の関門時間を教えてくれた。
- 東吾野kinoca 8:50
- 竹寺 12:10
- 高山不動茶屋 14:50
- 桂木観音 16:30
- ニューサンピア埼玉おごせ 18:00
うん、最後のやつはよく知ってる。トータルで35時間以内だよね。でも、私はレンタカーを20:00までに返却(新型コロナ対策のために営業時間短縮中)するためにもう少し早く、16:00とかに終わらせたいのですよ。
桂木観音での時刻が5:40、東吾野の関門は8:50ということは、3時間10分あるのか。いつもの調子なら問題ないはずだが、さすがに3周目だからどうかな? それともう一つ、西吾野からゴールまで4時間を見込むと、16:00フィニッシュするためには西吾野を12:00通過が目標だ。全体的に急がないとまずいな。
というわけで、だいぶ疲れた体ではあるのですが、一昨年のように膝を痛めてもいず、昨年のように内臓の調子も悪くはなかったので急ぎ気味で進みます。頑張った結果、北向地蔵24時間10分、東吾野kinocaは24時間50分7:50に到着。
このペースで行ければ時間内完走はできる。リスタート時に関門30分前だったのが1時間に伸ばせたのだから、この後も少しずつ縮めていけるはずだ。淡々とペースを守っていれば、ゴールの時間は向こうからやってくるはずだ。
東吾野駅から天覚山へ向かうところで駅を出てきたハイカーを一人追い抜く。頂上にはまだ誰もいなかった。
種木へ急坂を下る。天神山へ登り返す。昨年はこの辺りで腹を下して大変だった。高山から下る頃、遠くで銃声のような音と犬の鳴き声が聞こえた。間違って撃たれたら嫌だが、どうしようもない。
登戸までは誰とも会わずに進む。ここから竹寺に向かうマイナーな尾根道では2人ほどハイカーと行き合った。
竹寺再度到着は27時間40分、10:50。トイレに立ち寄り、本堂前の手水で顔と頭を濡らす。あと1時間10分で西吾野まで行けるか? ちょっとオーバーするくらいかな。
子の権現に到着、売店が開いている。ドリンクを補充するとともに、ガリガリ君を購入。売れ残りだから、と50円におまけしてくれた。
竹寺〜子の権現周辺では、逆方向に進むトレイルランナーや、他のハイカーをよく見かけた。意外とみんなマスクとかしてないね。
西吾野到着は29時間15分、12:15だった。上出来だろ、あと4時間で終われるぞ!
再びの駅裏の急登。「ピークは3つだけ、3つ目を超えたら尾根道が長い」と前周回のイメージを思い返しながら進む。
高山不動尊でトイレに寄る。水道の水をかぶる。グリーンライン上の茶屋(エイド予定箇所)で30時間20分、13:20。やはり前周回よりは時間がかかっている。昨年はここで「あと少しだから楽しんで!」という声援が嬉しかったことを思い出す。あと少しなんだぞ。
関八州見晴台を経て、四寸道を下る。越生駒ケ岳ではまた負傷しないように慎重に行く。今度は大丈夫だ。
桂木観音でちょうど32時間。時刻は15:00。この先が短縮された新コースなので、完走は見えた。トイレ前の水道で水をかぶり、最後の区間へ。
やはり南ステージのこの最後の区間は、新コースになってだいぶ負担が軽くなった気がする。金比羅神社には急坂を登るけれど長くはないし、幕岩までをあまり長く感じないで済む。幕岩から大高取山への登りも、九十九折で上り詰めるのではなく、緩やかに回り込んで行くので「最後にこんなにきついのかよ」という感情にはならない。
以後、誰とも会うことなくニューサンピア到着は16:17、合計タイムは33時間17分でした。
今年も才車商店はお休みだったので、サンピアの売店で、まずはドリンクとアイスを購入したのは言うまでもありません。
UTMB狂騒曲(余韻編 〜信越五岳トレイルランニングレース〜)
帰国後
エコノミークラス3本乗り継ぎで9/3(火)帰国。2〜3日は足のむくみがつらかったが、レースのダメージというより飛行機のせいだろう。9/4(水)、ジャングルマラソンなどの報告会を聞きに行く。
9/7(土)、越生のホームコース、彩の国南ステージ一周を疲労抜きに行こうと計画。完走できれば、毎年勝手に企画している彩の国 Classic Challenge カテゴリー1の達成(8〜9月中に第1回彩の国の北ステージ1周、南ステージ2周。合計100マイル)となるはずだった。8月にカテゴリー3(33時間以内で北ステージ1周、南ステージ2周)に挑戦し、あと1周を残して断念していたのだ。
せめてカテゴリー1は達成したかったが、疲労と所要時間を考慮し、東吾野駅までの30kmで中止とした。その主な理由は。
信越五岳トレイルランニングレース
はい、9/14〜15の信越五岳100マイルです。UTMBの2週間後ですが、これも出たかったレースなので、エントリー。1週間じゃあ無理だろうけど、2週間あればそこそこ回復するだろうと。
スタートまで
100マイルのスタートは18:30なので、東京からなら当日入りが可能。節約のため朝から高速バスで長野を目指す。そこから在来線で飯山へ、送迎バスで受付へ、という激安計画。ところが、三連休の初日のため、高速道路が渋滞、長野到着が遅れて予定の電車に乗れない。まさかのDNS? 幸い、次の新幹線に乗れて飯山へ。装備チェック、受付を済ませ、飲食ブースで腹ごしらえ。ここで、彩の国関連でよく会うKさんが通りかかった。彼女も今年のUTMBを完走しており、スタート前には声を掛け合ったのだ。曰く、「え〜! 出るんですか? さすが変態…。私は応援です」とのこと。
スタート前の荷物預けまでだいぶ時間がある。芝生に寝転んで仮眠。今年は好天だったからいいが、雨だと居場所に困るだろう。時間的には東京から当日入りできるが、前泊プランがオススメだ(待機場所も事前予約するとか、後泊も同じホテルにして荷物を預かってもらうとか)。
巡回バスで荷物預けに行き、またスタート地点へ戻る。スタートエリア付近でウロウロしながら、サイラーのIさん、サハラーのKさんの姿を探すが見つからない。Kさんは千葉の台風被害でレースどころではないのかもしれない。
そのうち、予想外の知った顔を見つけた。UTMBの同じツアーに参加していた、関西の方の女性Iさんだ。彼女も応援のために来ているだけで、走るわけではないそうだ。
スタート直前、ようやくサイラーのIさんと会えた。握手を交わし健闘を誓う。彼とは走力が近い(目標は27.5hとのこと)ので、ペースの参考にさせてもらおう。
序盤
前から50人あたりに位置を取る。ヘッドライト点灯。リラックスした気分でスタート。ゲレンデを緩やかに上り、トレイルへ。気持ちよく走れるコースだ。下り基調のシングルトラックではIさんの直後につく。心地よいスピード感で走りやすい。そのまま連れて行ってもらいたかったが、林道に出て登りになるところで私の方が先になった。
上りもそれほどきつくなく、「走れるトレイル」という評判通りであった。つまり、「走らされるトレイル」でもあり、休む暇がない。
最初のエイドでトイレに立ち寄る。出てきたところでIさんとすれ違い。やはり同じくらいのペースで来ている、気になる仲間だ。
20kmほど進んだところだと思う。突然、重たい疲労を感じる。例えるなら、60〜80kmくらい走った後で、まだゴールまで数十キロある、というような疲労感。体が重い。流石にUTMBの疲労が抜けてなかった、ということだろうか。まだそんな距離じゃないぞ、と言い聞かせながら進むが、スピードダウン。ここでIさんが軽やかに抜いていった。
やはり彼のスピードについて行くのは無理だったか…。それでもDNFなどという選択肢はない。やや傾斜のきつい上りを、前後のランナーと会話しながら登ってゆく。
「UTMB出て信越ですか? 強者ですね…」とか、「えっサイラー? 本物は初めて見た…」などとおだてられてモチベーションを保つことができた。
序盤のエイドのひとつ22kmバンフは、スタート地点から徒歩でアクセスできるところにあり(つまり、ランナーは無駄に大回りするコース)、Kさんが大きな声で名前を呼んで応援してくれた。気持ちよく手をあげてエイドを出る。
山を下りて湖畔に出るところに、エイドではないがちょうどトイレがあったので利用させてもらった。UTMBに続いて、本番だと腹を下すのは何とかならないのか。
湖畔を回って袴岳を過ぎ、55kmの大エイドに着くと、Iさんもまだ休憩中だった。それほど離されてはいないことに安堵。ここでドロップバッグを受け取り、汗で濡れたウェアを取り替える。その間にIさんは出発。こちらはだいぶゆっくりしてから遅れて出発。
中盤
この辺りは「信越トレイル」の標識を時々目にした。よく整備されていて走りやすく、ここなら快適な山行が楽しめるに違いない。いつかロングハイクに来たい。関山方面への道は全部トレイルだった。付近を妙高 Ultra Run rAce 18で走ったことがある。あのときは、この辺には未舗装の山道はほとんどないような話を聞いたが、探せばあるものなんだな。
なんとなく見覚えのあるような橋へロードで到着。多分この先がMURA18のゴール地点、アウトドア専門学校だろう。その手前にトイレを見つけ、落ち着いて用足し。
川沿いの道を西へ向かう。JRと新幹線を超えて妙高山域へ入るのだ。この砂利林道は軽快に通過できた。空が白み、夜明けを迎える。遠くの山の頂上に筋斗雲のような雲がかかっていた。
ほぼ15km刻みでエイドがあるが、とても長く感じる。日中の暑い時間帯が消耗した。
特に、赤倉のゲレンデ登り。ここまではスキー場を通ることはあっても、上州武尊のような厳しい登りではなかったため、侮っていた。とんでもないキツイ登りと遮るもののない直射日光。ドリンクも少なく、熱中症の危険性が高い区間だった。
しかし、登りきると奇跡のようなご褒美が待っている。天然の湧き水エイド(飲用可)だ。石川弘樹さんのコース設計に優しさとエンターテインメント性を感じる。息を吹き返して下ってゆく。
88kmの池の平エイドで、昼食のつもりで「かんずりラーメン」をいただいた。美味しくって3回くらいお代わりし、エイドを出るのが遅くなってしまった。
かんずりをお土産に買おうと思っていたのに、長野駅では売ってなかったのが残念。
終盤
関川沿いの宴会隊私設エイドに癒され、三分の二にあたる102km黒姫へ。再びドロップバッグが受け取れる。もう一度ウェアを着替える。シューズも予備のもの(Altra KING MT 1.5 使い古しの方)に履き替える。
出ようとしたらテントの奥から声をかけられた。サイラーのYさんじゃないか! Yさんも何年か前にUTMBを完走していたはずだ。
ここからペーサーを務めるので選手の到着待ちだと言う。Yさんをペーサーに使える選手ってことは相当実力者なんだろう。このペアに抜かされないように行きたい。
130km大橋林道エイド。スポンサーのパタゴニアの食品が提供されていた。豆のスープをいただく。ふとテントの奥に目をやると見覚えのある人が…。
南三陸のひーさんだ! 昨年、南三陸イヌワシ火防線プロジェクトで会ったのだった。あれもパタゴニアのイベントだった。今回は手伝いに来ているんだろう。握手して、「今年も募集があれば行きますよ」と約束する。意外な人との再会が嬉しく、足どりが軽くなる。
戸隠神社あたりは平坦な木道など。この辺から100kmのトップランナーたちが追いついてくる。もちろん抜かされる。そろそろ夕暮れ時。観光客も引き上げて行く。
最後の一山、瑪瑙山に登るが、なかなか頂上につかない。やっとついた頂上には何もないな?と思ったら偽ピークで、誘導スタッフがいる本当の頂上はその先だった。ここからの下りも長く、途中小ピークの登り返しもある。下りの途中で、シューズの補修箇所はまた穴あきになってしまった。腰を下ろして小石を取り除き、履き直す。もう限界だな、帰ったら処分しよう。
さあ、ちょっとトイレに寄りたい。下りきれば最後のエイドがあるはずだ、とガマンしながら下る。そのとき後ろから声をかけられた。
Iさんだ! やっぱり復活してきた。まだこんなところにいるんですか、何か問題ですか?と、元気に話しかけられてしまう。う〜ん、問題といえばトイレに行きたいんですよね〜。後ろから煽られるのをパワーに、スピードを上げて最終エイドに到着。決壊せず間に合ってホッとする。Iさんはエイドに寄らず先へ。
トイレ中にさらに2〜3人が通過したようだ。残りは約8kmの下り基調、追いつくかどうかは別として、スパートかける頃合いだ。飛ばしていこう!
幸い、整備された砂利林道で走りやすい。スピードを上げ、スローダウンしている選手を拾ってゆく。この先に彼がいるはずだ。この調子なら追いつけるかも? カーブの先に見覚えのある端正なフォームを捉えた。Iさんに間違いない。まさか追いつけるとは思ってませんでしたよ、と声をかけて追い抜く。
残り5kmもないだろう。Iさんや、他のランナーだって、ここから追い上げてくるかもしれない。不意に逆転されて後悔はしたくないので、そのままのスピードで進む。ゴールの明かりが見える。気持ちよく駆け抜け、26:07、48位でゴール! 次いで1分後、Iさんも笑顔でゴール!
「100マイルの旅の最後にまた再会するというのもオツなもんですね」とIさん。あなたと前後して進むことで刺激を受けたんですよ。ありがとう。
レース後
温泉への送迎があるという話だったが、バス便が少なく1時間待つらしい。大会指定の宿に電話をかけたら遅い時間でも入浴はできるとのこと。そのまま宿に向かうことにする。最寄りの道の駅までは大会の送迎バスで移動、途中コンビニで夜食を調達。宿の車で道の駅まで迎えに来てもらう。みんなゴール時間はバラバラだからこれを夜中じゅう繰り返すわけね。宿のスタッフさんお疲れ様です。翌日は表彰式。ここまで参加しないとドロップバッグが回収できない。完走者には一人ずつ記念のバックルが手渡される。会場には私と同じUTMBキャップをかぶっている人がいた。名前わからず。たぶん参加者だったのだろう。
帰宅後、食事中に突如前歯が折れる。別にレースとは関係ないんだけど。1か月半かかってやっと治療完了。
そうこうするうちに、思いがけなく幼友達からFacebookで連絡が来る。なんとUTMBで同室だったHさんの同僚で、同じランニングクラブに所属しているという(Hさんとは写真のやり取りなどでFacebookでつながった)。37年ぶり?に再会してトレラン話に花が咲く。ハセツネに10年くらいずっと出ているらしい。また何か新しいことが始まりそうだ。
UTMB狂騒曲(後編)
長文です。興味のある方だけどうぞ。
シャモニーは、軽井沢のような位置付けだろうか。アルプスの登山口でありリゾート地。それほど大きくない、谷あいの街だ。緩やかなゲレンデを囲むように小綺麗なホテルが立ち並んでいる。空を見れば常にパラグライダーが舞っている。ロープウェイで簡単に上まで行けるところに発進場所があり、私たちの泊まるレジデンスアパートの目の前のゲレンデが着陸場所なのだ。
翌日は朝から公式ツアーの企画による試走会。当初はロープウェイで本コースの最後8km地点へ上がり、ゴールまで戻ってくる予定だった。このため、乗り放題切符を2日分買っておいたのだが、事情により運休となっており、街から3〜4kmを往復する形に短縮となった。
メインは有名選手によるエスコートと、ストックの使い方レクチャーであった。ストックは使わないつもりだったが、それでもコースを案内してもらい、実走しておくことには意義があった(たぶん、ツアーに参加していなければ、自分で10kmくらいの試走に行ったのではないかと思う)。
そんなわけで、この日は乗り放題切符が余ってしまったので、パラグライダーが飛び立っているシャモニー北側の峰ブレヴァンへロープウェイで観光。午後はモンタンヴェール登山鉄道で氷河を見に行く。どこを見ても絶景で、目のやり場に困るぐらいだ。
翌日、ツアー客揃ってレースの受付へ。公式ツアー客はまとまって行動すれば最後尾に並ばなくてもいいのだ。装備チェック後、ゼッケン受け取り。日本人が結構多いせいか、荷物チェックのスタッフには日本語OKな人もいた。
昼から、ツアースタッフによるコース説明会。何度も完走したことのある人たちが「ここは長い下りの先がエイドだと思いがちだけど、エイドまでは登り返しがあるから忘れないように」「ここは風が強く冷え込む」と、実践的なアドバイスをしてくれる。
説明会の後、会場前のロープウェイ駅から、エギーユ・ドゥ・ミディへ観光ツアー御一行様。富士山よりも高い標高へ、ロープウェイを2本乗り継いで到達。寒さ対策をするように言われていたが、日差しが強くダウンジャケットでは暑いくらいだった。
帰路は、ロープウェイの乗り継ぎ駅から単独行動で、6kmほど離れたモンタンヴェールまでひとりトレラン。昨日登山鉄道で行った駅である。このコースはほぼ平坦で、登山客も多く歩いていた。
目標は30時間。エイドの町の名前が覚えられないので、目安となる大エイド3箇所だけをピックアップした。
左腕にボールペンで高低の略図を描き、1.2.3.の位置に印をつける。各区間の予定時間はシャピューまで9時間、クールマイヨールまで6時間、シャンペまで6時間、ゴールのシャモニーまで9時間、と見積もった。
少し早めにスタートエリアに入る。徐々に選手が集まり、すぐに広場は埋め尽くされる。私の前にはざっと200〜300人くらいいただろうか。待ち時間の間に夕立があり、レインウェアを初使用。
山を登り始めるが、まだ明るい。20:00くらいまではライトなしで行けそうだ。カウベルの音が聞こえる。沿道の応援で、子供たちが大きなカウベルを身体全体で振り鳴らしている。ハイタッチの手を出す子供たちにはできるだけ応えながら進む。
30kmのコンタミン、通常のエイドで軽く食料を補給。そのまま出ようとしたら奥に個人サポートエリアがあり、せっかくなので味噌汁か何かいただいた気がする。
50kmのシャピューには7:30ほどで到着、普段通りの走りができている。ここから、ピークを3つ越えれば、中間地点のクールマイヨールだ。
途中、携帯電話を持っているかどうかのチェックがあり、取り出して見せる必要があった。このとき、画面を変な触り方をしてしまったらしく、iPhoneの表示が超拡大され、何の操作も(終了すら)できなくなってしまった。
Runtasticの計測は動いてるみたいだから、最悪でもこのまま充電しながら行けばゴールまで記録は取れるだろう。だけど、これじゃ緊急連絡がSMSに入っても読めないよな。次のエイドで、誰かに強制終了のやり方尋ねてみるか? 英語でなんて言えばいいんだろ。Could you help me to shut down my iPhone? みたいな感じだろうか。などと余計なストレスを感じながら進む。
夜明けの山を数人で前後しつつ下ってゆく。麓のクールマイヨールからロープウェイが通っているようだった(まだ動いていなかったと思う)。登ってくるハイカーには「ボンジョルノ!」とイタリアっぽく挨拶。街におりて、石畳の小道を駆けてエイドへ。シャピューからは6:10ほど。トータルでは15時間の予定に対して1時間以上余裕が生まれていた。
80km、中間地点のクールマイヨールではドロップバッグが受け取れる。エイド入口で番号順に並んでいる棚から自分のものを持って体育館のようなサポートエリアへ。ツアースタッフが「何食べますか? 何飲みますか?」と歓迎してくれる。それよりもiPhoneの件だ。尋ねてみると、「全部のボタンを同時押しすればいいんですよね」と言いながら強制終了してくれた。再起動したらRuntastic の計測もそのまま継続できた。余分なストレスが減り、大助かりだ。
ちなみにiPhoneのアクセシビリティ>ズーム機能は他にも問題があるようだ。
ツアー内でトップのKさんは先ほど出て行ったばかりだという。また、試走会や説明会に来られていた大瀬選手が、リタイヤしてしまったらしくここに来ていた。
ドロップバッグからのウェアに着替え、食料などを入れ替える。復活したiPhone でメッセージなどチェックすると、日本で仲間が盛り上がって応援してくれている。私は仲間うちではそれなりにトレイルが速いと評価されているのだが、予想以上の健闘ぶり、ということのようだ。メッセージで「大丈夫なんで、そこはすぐ出ましょ!」などとエイドから追いたてられる。チキンラーメンなどしっかり補給して約30分で出発。
今日も快晴である。振り返って見下ろすクールマイヨールの街も美しい。 街を出てしばらく標高が低いうちは疎林のトレイルだったが、ベルトーネ、ボナッティに上がる頃にはやはり日を遮るもののない岩肌の山道となる。好天のもと、絶景を見ながら走る気分は最高だった。暑かったのでサハラキャップをアルプスの雪解け水で濡らしながら。
ここからアルヌーヴァまで少し長めの下り区間がある。私はこれを、「フェレ峠からの長い下り」と思い込み、下りきって少し登り返せば次の目印としたシャンペに着く、と勘違いして進んでいた。実際は、これからがフェレ峠に登るところだったのだ。
アルヌーヴァを出て、「少し登り返せば…少し登り返せば…ずいぶん長いな…さすがUTMB」などと思いながら、強い日差しのもと草山を登っていく。水も残り少ないが、2kmほど先の山頂にエイドのテントのようなものが見える。あれか。
そして、たどり着いたときに、こここそがフェレ峠で、しかもエイドではない、と知ったときのショックたるや、相当なもの。
何よりも水を補給したい。ここからが本当に長い下りなのか。しょうがない、水を節約しながら下って行く。幸い、下りの途中に小さなエイドがあり、水切れはなんとか避けられた。
結局、シャンペまで6時間のつもりが8時間40分もかかってしまった。125km地点で合計で1:40ほどの超過。
とはいえ、ここでもツアースタッフに預けた着替えが受け取れるので、気分転換していきたい。今後天気の崩れはない、という予想を聞いて、予定どおりサイラーTシャツに着替える。ヨーロッパじゃ誰も知らないだろうけど、日本ではちょっとハッタリになる完走Tシャツなのだ。サイラーの名を汚さないように行きたい。ここから約50km、あと3つ山を越えればゴールのシャモニーだ。
シャンペでは、まだKさんも休んでおり、エイド内で少し言葉を交わした。もっと早く進む予定が、調子が悪くこの時間になっているとのこと。本調子だったらレース中に会うはずもない人であった。
一つ目の山は比較的楽に越えた。
二つ目の山は少々うんざり。
三つ目のテットオーバンはグランドジョラスが眺められる絶景らしい(後で知った)が、夜中なので自分の足元しか見えない。ゴロゴロした石の山道を、マーキングの灯火を辿って行く。
コース取りに必然性を感じない。このルートでなければ頂上に行けないとか、山を越えるのに一番早いルートだ、というような必然性。そういうものを求めるのは、100マイルという距離ありきのコースには無理なんだろうか。ここまで睡眠をとっていないので眠気もあり、半ば幻覚を見ているような状態でフラフラしながら石の山を越える。この間、都合10人くらいに先を譲っただろうか。しかし、それなりのスピードで頑張って登っていたはずだ。何人か抜き返すこともあったように思う。
最後の下りに入ればすぐにシャモニーかと思いきや、まだまだかなり長い。やがてロープウェイの駅がある。本当はここまで試走会で来る予定だったのだが、運休のため私たちはさらに下の方しか試走していない。知っているのは、松の生えている九十九折の登山道までだ。早く見覚えのあるところにたどり着いて安心したい。
やがて見知った雰囲気の山道に下りてきたが、試走会で写真を撮ったカフェにはなかなか出会わない。道の雰囲気が似ているだけで、まだ先なのか。何回折り返せば着くんだろう。そうこうするうちに、またキジ打ちタイム。分岐をそれて用足ししてコースに戻ってくると、ちょうど日本人選手と行き合った。彼は足を痛めてしまったそうで、この後はゆっくり行くという。先に行かせてもらう。
ようやく見覚えのあるカフェを過ぎた。そろそろトレイルも終わりだろう、とスピードを上げて行くと、一人のランナーに追いついた。右側から抜こうとすると、彼が右手を水平に伸ばしてくる。あら、通せんぼか。何か先に危険でもあったか?抜くんじゃないよって怒ったか?
こちらが両手を上げてスピードダウンすると、彼は慌てたように「そんなつもりじゃないよ、ただ俺たちやったな!ってタッチしたかっただけさ!」そういうことか! 失礼した。We did it! と掌を叩き合い、気分良く先を急ぐ。
街へ左折するポイントにはスタッフが立っていた。うっかり間違えそうになったところをちゃんと誘導してくれた。試走会でも通った、仮設の歩道橋を駆ける。
川沿いの歩道を街の中心部へ向かう。イベント会場の脇を通って中心街へ。夜中だから混雑はしていないが、行き交う人々が「ブラボー!」と声をかけてくれる。前方に一人、先行ランナーが見える。ちょっと追いつくのは無理か。だからと言って力を抜く気はない。スポーツショップ前で曲がり、最後の直線へ。先行ランナーがゴールした。こちらも最後までスピードは落とさない。ゴールまで駆け抜けられるって、なんて気持ちいいんだ!
ゴールラインを越えて、先行ランナーと握手を交わす。近くにいた人が座れるスペースを譲ってくれた。しばし息を整えてからゴール地点を後にし、届いているはずのドロップバッグ(脱ぎ捨てた着替え入り)を回収しに行く(特にゴール後の案内は何もなかった)。途上、妻から祝福の電話が入る。忙しい朝の時間帯に、ちょうど速報サイトでゴールを知ったらしい。感謝。
レジデンスの部屋へ戻り、まずは浴槽に湯を張って疲れを癒す。湯上がりに、買っておいたワインで祝杯といきたかったが、内臓が受け付けなかった。少し口をつけるだけにとどめる。ベッドに横になり、丸めた布団に足を乗せて高く上げ、ほぼ36時間ぶりの睡眠を貪った。
前日まで
送迎バスで宿泊場所のレジデンスアパートに到着。ロビーのツアースタッフから説明を受けてカードキーを受け取る。ツイン2室+LD+Kを4人で使う。ビュッフェ式の朝食付きだ。この日はツアースタッフに街を少し案内してもらい、スタート・ゴール地点、スーパーマーケット、各種ブースの出ているイベント会場などを見て回った。シャモニーは、軽井沢のような位置付けだろうか。アルプスの登山口でありリゾート地。それほど大きくない、谷あいの街だ。緩やかなゲレンデを囲むように小綺麗なホテルが立ち並んでいる。空を見れば常にパラグライダーが舞っている。ロープウェイで簡単に上まで行けるところに発進場所があり、私たちの泊まるレジデンスアパートの目の前のゲレンデが着陸場所なのだ。
翌日は朝から公式ツアーの企画による試走会。当初はロープウェイで本コースの最後8km地点へ上がり、ゴールまで戻ってくる予定だった。このため、乗り放題切符を2日分買っておいたのだが、事情により運休となっており、街から3〜4kmを往復する形に短縮となった。
メインは有名選手によるエスコートと、ストックの使い方レクチャーであった。ストックは使わないつもりだったが、それでもコースを案内してもらい、実走しておくことには意義があった(たぶん、ツアーに参加していなければ、自分で10kmくらいの試走に行ったのではないかと思う)。
そんなわけで、この日は乗り放題切符が余ってしまったので、パラグライダーが飛び立っているシャモニー北側の峰ブレヴァンへロープウェイで観光。午後はモンタンヴェール登山鉄道で氷河を見に行く。どこを見ても絶景で、目のやり場に困るぐらいだ。
翌日、ツアー客揃ってレースの受付へ。公式ツアー客はまとまって行動すれば最後尾に並ばなくてもいいのだ。装備チェック後、ゼッケン受け取り。日本人が結構多いせいか、荷物チェックのスタッフには日本語OKな人もいた。
昼から、ツアースタッフによるコース説明会。何度も完走したことのある人たちが「ここは長い下りの先がエイドだと思いがちだけど、エイドまでは登り返しがあるから忘れないように」「ここは風が強く冷え込む」と、実践的なアドバイスをしてくれる。
説明会の後、会場前のロープウェイ駅から、エギーユ・ドゥ・ミディへ観光ツアー御一行様。富士山よりも高い標高へ、ロープウェイを2本乗り継いで到達。寒さ対策をするように言われていたが、日差しが強くダウンジャケットでは暑いくらいだった。
帰路は、ロープウェイの乗り継ぎ駅から単独行動で、6kmほど離れたモンタンヴェールまでひとりトレラン。昨日登山鉄道で行った駅である。このコースはほぼ平坦で、登山客も多く歩いていた。
当日スタートまで
スタートは18:00なので、昼間はのんびり、できるだけ昼寝しておいた。目標は30時間。エイドの町の名前が覚えられないので、目安となる大エイド3箇所だけをピックアップした。
- Les Chapieux (シャピュー)50.1km
- Courmayeur (クールマイヨール)80.0km ドロップバッグあり
- Champex-Lac (シャンペ)125.9km ドロップバッグあり
左腕にボールペンで高低の略図を描き、1.2.3.の位置に印をつける。各区間の予定時間はシャピューまで9時間、クールマイヨールまで6時間、シャンペまで6時間、ゴールのシャモニーまで9時間、と見積もった。
少し早めにスタートエリアに入る。徐々に選手が集まり、すぐに広場は埋め尽くされる。私の前にはざっと200〜300人くらいいただろうか。待ち時間の間に夕立があり、レインウェアを初使用。
シャピューまで
場を盛り上げるアナウンスと手拍子。高揚感に包まれ、18:00スタート。シャモニーの街を抜け、やがて平坦なトレイルへ。ぬかるみや木道など少々。まだ始まったばかりなので、こんなところで転んで怪我などしないように気をつけて行こう、と思う。山を登り始めるが、まだ明るい。20:00くらいまではライトなしで行けそうだ。カウベルの音が聞こえる。沿道の応援で、子供たちが大きなカウベルを身体全体で振り鳴らしている。ハイタッチの手を出す子供たちにはできるだけ応えながら進む。
30kmのコンタミン、通常のエイドで軽く食料を補給。そのまま出ようとしたら奥に個人サポートエリアがあり、せっかくなので味噌汁か何かいただいた気がする。
50kmのシャピューには7:30ほどで到着、普段通りの走りができている。ここから、ピークを3つ越えれば、中間地点のクールマイヨールだ。
クールマイヨールまで
まず初めのピークがフランス・イタリア国境の峠だ。説明会で、風が強くて冷え込む、と聞いていた。上りの途中で少し風が出てきたな、と感じたところでレインウェアを着込む。他の二つのピークではそれほど風や寒さを感じなかった。元来国境線というのは、過酷で越えがたい自然環境のところに、自然にできるものなのかもしれない。途中、携帯電話を持っているかどうかのチェックがあり、取り出して見せる必要があった。このとき、画面を変な触り方をしてしまったらしく、iPhoneの表示が超拡大され、何の操作も(終了すら)できなくなってしまった。
Runtasticの計測は動いてるみたいだから、最悪でもこのまま充電しながら行けばゴールまで記録は取れるだろう。だけど、これじゃ緊急連絡がSMSに入っても読めないよな。次のエイドで、誰かに強制終了のやり方尋ねてみるか? 英語でなんて言えばいいんだろ。Could you help me to shut down my iPhone? みたいな感じだろうか。などと余計なストレスを感じながら進む。
夜明けの山を数人で前後しつつ下ってゆく。麓のクールマイヨールからロープウェイが通っているようだった(まだ動いていなかったと思う)。登ってくるハイカーには「ボンジョルノ!」とイタリアっぽく挨拶。街におりて、石畳の小道を駆けてエイドへ。シャピューからは6:10ほど。トータルでは15時間の予定に対して1時間以上余裕が生まれていた。
80km、中間地点のクールマイヨールではドロップバッグが受け取れる。エイド入口で番号順に並んでいる棚から自分のものを持って体育館のようなサポートエリアへ。ツアースタッフが「何食べますか? 何飲みますか?」と歓迎してくれる。それよりもiPhoneの件だ。尋ねてみると、「全部のボタンを同時押しすればいいんですよね」と言いながら強制終了してくれた。再起動したらRuntastic の計測もそのまま継続できた。余分なストレスが減り、大助かりだ。
ちなみにiPhoneのアクセシビリティ>ズーム機能は他にも問題があるようだ。
ツアー内でトップのKさんは先ほど出て行ったばかりだという。また、試走会や説明会に来られていた大瀬選手が、リタイヤしてしまったらしくここに来ていた。
ドロップバッグからのウェアに着替え、食料などを入れ替える。復活したiPhone でメッセージなどチェックすると、日本で仲間が盛り上がって応援してくれている。私は仲間うちではそれなりにトレイルが速いと評価されているのだが、予想以上の健闘ぶり、ということのようだ。メッセージで「大丈夫なんで、そこはすぐ出ましょ!」などとエイドから追いたてられる。チキンラーメンなどしっかり補給して約30分で出発。
シャンペまで
この後はコース上の最高地点、フェレ峠と、その後の長い下りが控えている。今日も快晴である。振り返って見下ろすクールマイヨールの街も美しい。 街を出てしばらく標高が低いうちは疎林のトレイルだったが、ベルトーネ、ボナッティに上がる頃にはやはり日を遮るもののない岩肌の山道となる。好天のもと、絶景を見ながら走る気分は最高だった。暑かったのでサハラキャップをアルプスの雪解け水で濡らしながら。
ここからアルヌーヴァまで少し長めの下り区間がある。私はこれを、「フェレ峠からの長い下り」と思い込み、下りきって少し登り返せば次の目印としたシャンペに着く、と勘違いして進んでいた。実際は、これからがフェレ峠に登るところだったのだ。
アルヌーヴァを出て、「少し登り返せば…少し登り返せば…ずいぶん長いな…さすがUTMB」などと思いながら、強い日差しのもと草山を登っていく。水も残り少ないが、2kmほど先の山頂にエイドのテントのようなものが見える。あれか。
そして、たどり着いたときに、こここそがフェレ峠で、しかもエイドではない、と知ったときのショックたるや、相当なもの。
何よりも水を補給したい。ここからが本当に長い下りなのか。しょうがない、水を節約しながら下って行く。幸い、下りの途中に小さなエイドがあり、水切れはなんとか避けられた。
結局、シャンペまで6時間のつもりが8時間40分もかかってしまった。125km地点で合計で1:40ほどの超過。
とはいえ、ここでもツアースタッフに預けた着替えが受け取れるので、気分転換していきたい。今後天気の崩れはない、という予想を聞いて、予定どおりサイラーTシャツに着替える。ヨーロッパじゃ誰も知らないだろうけど、日本ではちょっとハッタリになる完走Tシャツなのだ。サイラーの名を汚さないように行きたい。ここから約50km、あと3つ山を越えればゴールのシャモニーだ。
シャンペでは、まだKさんも休んでおり、エイド内で少し言葉を交わした。もっと早く進む予定が、調子が悪くこの時間になっているとのこと。本調子だったらレース中に会うはずもない人であった。
シャモニーまで
着替えてチキンラーメンやらを食べたあと、Kさんよりも先にエイドを出る。数キロ進んだ山中で用足し。この大会中、開始後からずっと腹下し気味で、エイドの度にトイレに寄っていた。セコイことを言えば、毎回のこれがなければ30分以上タイムを縮めることができただろう。ここまではエイドのトイレを利用していたが、ついに限界を超えてキジ打ちとなった。その間に、復活してスピードを上げたKさんには抜かれたようだ。一つ目の山は比較的楽に越えた。
二つ目の山は少々うんざり。
三つ目のテットオーバンはグランドジョラスが眺められる絶景らしい(後で知った)が、夜中なので自分の足元しか見えない。ゴロゴロした石の山道を、マーキングの灯火を辿って行く。
コース取りに必然性を感じない。このルートでなければ頂上に行けないとか、山を越えるのに一番早いルートだ、というような必然性。そういうものを求めるのは、100マイルという距離ありきのコースには無理なんだろうか。ここまで睡眠をとっていないので眠気もあり、半ば幻覚を見ているような状態でフラフラしながら石の山を越える。この間、都合10人くらいに先を譲っただろうか。しかし、それなりのスピードで頑張って登っていたはずだ。何人か抜き返すこともあったように思う。
最後の下りに入ればすぐにシャモニーかと思いきや、まだまだかなり長い。やがてロープウェイの駅がある。本当はここまで試走会で来る予定だったのだが、運休のため私たちはさらに下の方しか試走していない。知っているのは、松の生えている九十九折の登山道までだ。早く見覚えのあるところにたどり着いて安心したい。
やがて見知った雰囲気の山道に下りてきたが、試走会で写真を撮ったカフェにはなかなか出会わない。道の雰囲気が似ているだけで、まだ先なのか。何回折り返せば着くんだろう。そうこうするうちに、またキジ打ちタイム。分岐をそれて用足ししてコースに戻ってくると、ちょうど日本人選手と行き合った。彼は足を痛めてしまったそうで、この後はゆっくり行くという。先に行かせてもらう。
ようやく見覚えのあるカフェを過ぎた。そろそろトレイルも終わりだろう、とスピードを上げて行くと、一人のランナーに追いついた。右側から抜こうとすると、彼が右手を水平に伸ばしてくる。あら、通せんぼか。何か先に危険でもあったか?抜くんじゃないよって怒ったか?
こちらが両手を上げてスピードダウンすると、彼は慌てたように「そんなつもりじゃないよ、ただ俺たちやったな!ってタッチしたかっただけさ!」そういうことか! 失礼した。We did it! と掌を叩き合い、気分良く先を急ぐ。
街へ左折するポイントにはスタッフが立っていた。うっかり間違えそうになったところをちゃんと誘導してくれた。試走会でも通った、仮設の歩道橋を駆ける。
川沿いの歩道を街の中心部へ向かう。イベント会場の脇を通って中心街へ。夜中だから混雑はしていないが、行き交う人々が「ブラボー!」と声をかけてくれる。前方に一人、先行ランナーが見える。ちょっと追いつくのは無理か。だからと言って力を抜く気はない。スポーツショップ前で曲がり、最後の直線へ。先行ランナーがゴールした。こちらも最後までスピードは落とさない。ゴールまで駆け抜けられるって、なんて気持ちいいんだ!
ゴールラインを越えて、先行ランナーと握手を交わす。近くにいた人が座れるスペースを譲ってくれた。しばし息を整えてからゴール地点を後にし、届いているはずのドロップバッグ(脱ぎ捨てた着替え入り)を回収しに行く(特にゴール後の案内は何もなかった)。途上、妻から祝福の電話が入る。忙しい朝の時間帯に、ちょうど速報サイトでゴールを知ったらしい。感謝。
レジデンスの部屋へ戻り、まずは浴槽に湯を張って疲れを癒す。湯上がりに、買っておいたワインで祝杯といきたかったが、内臓が受け付けなかった。少し口をつけるだけにとどめる。ベッドに横になり、丸めた布団に足を乗せて高く上げ、ほぼ36時間ぶりの睡眠を貪った。
UTMB狂騒曲(前編)
ポイント獲得レース
UTMB(ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン)出場のためには、条件がある。ITRAポイントの獲得だ。ポイント対象と認定されるレースでを完走し、15ポイントを獲得しなければ、完走どころかエントリーすらできない(当時)。細かい定義は知らないが、概ね50km=3pt、100km=5pt、160km(100マイル)=6ptといったレベル感だ。では、3ptの50kmレースを5本完走すればいいのか? 否。
2年以内に、3レース以内で、15pt獲得しなければいけないのである。つまり、5+5+5または4+5+6での15ptが基本になる。中には3+6+6というパターンもあるかもしれないが。
私は2018年の、トレニックワールドin彩の国(175km)、上州武尊スカイビュートレイル(129km)、FunTrails 100km Round 秩父&奥武蔵(106km)が認められた(UTMBのサイトがITRAのデータをもとに自動的に判断する)。あれ? これ、6+6+5でお釣りが出るはずですね…。
いずれにしても、160kmを超える世界最高に盛り上がるトレラン大会の出場権と考えれば、納得のいく制度である。
抽選
さて、エントリーしたとしても、全員が出場できるわけではない。人気の大会なので抽選なのである。まずは年末に仮エントリーをして抽選結果を待つ。このとき、UTMB公式ツアーの予約も同時に仮申し込みしてしまうとよい。どこでどう情報がつながっているのか知らないが、それだけで当選確率は少し上がるらしい(それに、現地でレース中の個人サポートまで受けられるので、ぜひ公式ツアーは活用したい。フランス人の友人宅に無料で泊まれる、というような人以外は、自分で手配しても同じような値段になるはずだ)。2019年の日本人の出場権は30%程度だったとのこと。私はツアー申し込みの成果か、一発当選を引き当てた。ちなみに、公式ツアーの仮申し込みの手付金は、もし抽選に外れた場合は全額払い戻されるので安心だ。
なお、私は公式ツアーの存在を知ったのが仮申し込み期限の直前だった。東京八峰マウンテントレイルを走った日に友人から教えられ、その夜に申し込んでギリギリ間に合ったのだった。
練習
UTMBのコースを確認すると、最高地点は約2500m。普段走る高度ではないので、これは練習しておこう。というわけで、夏までに3回の2500m練習を行った。
(1)乗鞍天空マラソン
ちょうどコースの最高地点が2500m。ロードのフルマラソンだが、上り・下りの距離も、一つひとつの山の規模が大きいというUTMB対策にはちょうどよい。6/23、3:38:32、42位で完走。(2)富士登山競走練習
富士登山競走の本戦には出ないが、練習として富士吉田市役所から山頂までを試走。五合目コースの関門はクリア、山頂コースも行けるつもりだったが、少しオーバーしてしまった。それでも2500mあたりまでは身体の異変もなく、問題なく走れるということを確認。7/13、約21km/約4:45。(3)八ヶ岳練習
八ヶ岳スリーピークスのコースを辿って2500mまで行って帰ってくる練習。上部はガスがかかっていたが、問題なくこなせた。7/20、約42km/約9h。必須装備
ご多聞に洩れず、UTMBも必須装備が定められている。中でも、レインウェアのチェックは厳しいとのこと。まあ、ある程度高度のあるコースだからそれは持たなきゃダメだろう。手持ちのmont-bell バーサライトの上下で実用上は問題ないはずだが、これでは引っかかったという例もある、ということで、mont-bell トレントフライヤーを購入。旅費・エントリー費以外の、こういうところがかかるんですよね…。現地まで
飛行機はツアーとは別に自分で予約したので、3本乗り継ぎの行程。ロストバゲージだけが心配であった。最安を選択した航空会社は中国南方航空。広州乗り換え・アムステルダム乗り換えである。久しぶりの海外一人旅は緊張する。ツアー参加にしたので、言語や手続き面をあまり予習しなかったことが不安を煽る。羽田出発前から、南方航空だけタッチパネルでのチェックインができない(対面のみ)・出発が遅れる、という不安要素。そして、広州で食べた羊肉の麺セットは日本円で払ったせいか随分と余分に払った気がする。
スイス・ジュネーヴの空港には、ツアースタッフが出迎えに来てくれていてホッとした。EUに着いて、やっと日本語が話せる、という変な感覚。ちなみに、EU圏への入国手続きは乗り継ぎのアムステルダムで済んでいるので、到着地のジュネーヴでは何の手続きもない。陸路フランスへ入る時も。それに比べると、日本帰国時の手続きの煩雑なことよ。
送迎のバスに他のツアー客と同乗し、フランス・シャモニーへ向かう。高速道路を走る車窓からアルプスの山々が見える。名も知らないが、岩山の雰囲気。日本の里山とは高度が違うということだろう。ああいう山を走るのか、と武者震いを覚える。
以下、後編で!
彩の国100マイル2勝2敗のタイに持ち込む
トレニックワールドin彩の国100マイル。4年目である。昨年は膝の痛みを抱えての「完歩」だったので、今年の目標は「走り切る」「33時間を切る」。さて結果は?
序盤・サンピアの裏山から先頭集団に入る。「抑え気味でいく」と公言していたNさんが思いっきり引っ張ってるんですけど。ロードに出るまでの間に私の方が前に出る。ロードではスタッフのMさんがバイクで先導についてくれた。大型バイクの先導がつくって、ずいぶん立派な大会になったもんだ。
試走会の顔なじみIさんとトレイル入口付近まで先頭で並走。上り坂になるところで速い人たちに先頭を譲る。渋滞に引っかからない位置でよかった。
竹林あたりまではサイラーのKさんとも前後していたが、すぐに彼は先に行ってしまった。飯盛峠への林道登りは練習で決めた通り淡々とジョグで無心に上る。エイド直前でIさんを追い抜く。ちょっとバテ気味に見えたが大丈夫か?UTMFのダメージがあるのでは?と余計な心配が頭をよぎる。
8時間程度を目標にしていたが、ついついレース本番だと飛ばしてしまう。この日のために1年間の練習を積み重ねてきたんだから解放感があるのは当然だ、と言い訳を思いつく。気持ちよく走れていて、ほんの少しだけ追い込む程度なので、疲労の蓄積は気にしなくてよさそうだ。タイム・ペースよりも身体の負担・出力パワーの感覚を重視してこのまま進むことにする。
堂平山のトイレは土足OKのはずだからトイレに寄っていこう。と思ったら、今年は土足禁止(土足OKの個室はランナー使用禁止)だった。次のトイレはどこだ?慈光寺か。あそこは元から土足のトイレだから問題ないな。2時間ちょいならこのままいけるはず、と計算して通過する。
慈光寺のエイドではまずはかぶり水、そしてトイレ利用。ドリンク補充をしているところでOさん到着。昨年はロストしてサイラーになり損なっているので、今年は頑張ってほしい。
慈光寺参道を下る途中、サイラーのMさん(DNS)が奥さんと応援に来ていて写真を撮ってくれた。さらに宿交差点まで下ると、クルマ移動であちこちで応援してくれているサイラーのSさんがここにも。本人もペーサーとして走る予定なのに、パワフルだなぁ。
日差しが暑くなってはきたが、山中・林間は少し風もあって心地よいくらいだ。しかし、Nさんから聞いた「50kmでも必ずシャツを替えたほうが良い」というアドバイスに従って、サンピアに戻ったらシャツだけは替えて出よう、と決心する。
新柵山への登りは一人旅。くぬぎむらエイドでもかぶり水を利用させてもらう。そのまま順調にサンピアへ7h10で帰還、昨年よりも早い。ここまでエイドではドリンクの補充とフルーツやゼリーなどのつまみ食い程度のみ。サンピアではカレーを小鉢半分程度いただいた。
滞在12分でシャツを替え、夜用の食料(カフェイン入り)に入れ替えてリスタート。ここを素早くやるだけで10位から5位にジャンプアップである。もっとも、五大尊の自販機でコーヒーを買ってトイレに寄ったので、すぐに帳消しになるわけだが。
桂木観音を出たところでサハラ仲間のNさんHさんに「残り100km」とメッセージを送る。前夜、彼らとは「日が暮れる前に天覚山を登りきるとだいぶ楽なのではないか」と話していた。なんとかなりそうなペースだ。
まだ暑いので、ユガテに向かう途中の水場で頭を冷やそう、と思ったら、水量が極少でこれは使えず。ユガテのトイレに寄って手洗い用の湧き水を利用させてもらった。
吾那神社エイドではアイスコーヒーを所望、スティックコーヒーを水で溶いてもらう。出がけにグローブを置き忘れそうになり呼び止められる。感謝。
東吾野駅の裏手を歩きながら、ヘッドライトの準備をする。まだ点灯しなくても行けそうだ。天覚山の頂上直下へ登りきると、スタッフが案内に立っていた。「コース上に案内スタッフはいません」という大会なので、これだけでだいぶ手厚くなったなぁ、と感じる。大高山へ向かう途中でライトオン。
前坂でトータル約12時間。GPS計測しているiPhoneアプリRuntasticの調子がおかしく、計測は継続できているのに終了や保存ボタンが出てこない。ということは、完走しても強制終了するしかなく、記録の保存ができないのでは…完走者に「GPSデータを提供してください」って呼びかける大会だけに、ITRAポイントが認められるのか不安がつのる。ともかく画面のスクリーンショットは要所で保存して画像として記録しておくことにする。
竹寺の手前、天王山を登る前にトイレに寄って、飲用不適の川の水で頭を冷やす。竹寺エイドでうどんを少しだけ。本当は豚汁うどんなのだが、固形物に食指が動かなかったので、汁だけかけていただいた。「次に来るときは上の方に移動しててくれたりしないですよね?」などと軽口を叩いて出発(三周目では山の上から竹寺に降りてくるので、上の方にエイドがあると便利)。
次のポイント子の権現では、エイドはないが売店が深夜営業してくれているはず。その意気に感じて何か買っていこうと夜の山道を急ぐ。だいぶ体感気温は下がり、涼しく走りやすくなってきた時間帯。そこへNさんから残念ながらリタイヤ、とのメッセージ届く。ともに完走を目指してきた仲間のリタイヤが悔しくて泣きそうになるが、もっと泣きたかったのは自分自身だったろう。
子の権現の売店で甘酒を一杯。キュウリの一本漬けを購入してかじりながら山道を下る。塩加減・水分ともに申し分ない。
西吾野駅の自販機でアイスコーヒー。カフェインパワーで駅裏の急登を登る。竹寺〜高山不動の間で順位が5人分上がっているが、特に抜いた記憶がない。高山不動のエイドにはやたらスタッフが多く感じて尋ねると、まだこれから巡回に出る人が多くいるのだ、「まだ速い人しか来てないから」と教えてくれた。聞かされたときは実感がなかったが、このときの私の位置は部門2位。つまり優勝者のひゃっほいさんの次点につけていたらしいのだ。大幅な差のある状態、しかも瞬間風速とはいえ、光栄なことだ。 ※訂正コメント参照
そして関八州見晴台から四寸道を下り、桂木観音へ。ここで順位が5人分後退しているが、これまた抜かれた記憶がない。桂木観音エイドでは南ステージへ向かう100kmランナーたちが出て行くところで、動線が交差する。ここは運営側で案内を考慮するべきところじゃないだろうか。皮ごと食べられるぶどうを何粒も口にし、止まらなくなってしまう。この辺から味覚と胃腸は少し調子が狂い始めていたのかもしれない。
幕岩展望台から大高取山の頂上を経て長い下り山道をたどり、サンピア到着。時刻は01:23、Nさんと、応援に来てくれたサハラ仲間のUさんの出迎えを受ける。サンピア裏手の水道で水を浴びる。
残すはあと一周。もう取っておく必要はないので、準備していた着替えを全て取り替える。ヘッドライトの電池も予備と入れ替え、滞在25分でリスタート。ちょうどKさんのリスタートとほぼ同時。中津久根のトイレに立ち寄っている間にKさんが先行したが、西山高取への登りで追いついてしまう。立ち止まっていて辛そうだ。ちょっと脚を痛めていることもあり、リタイヤするため戻るか進むかを考えるとのこと(脚を痛めていての、この走りですか…)。
止まりこそしないものの、私も歩いて動き続けるという程度の動きしかできなくなっている。山道を軽快に走る、というトレイルランニングのイメージとは程遠い。ともかく今回3回目の桂木観音エイド到着。ドリンク補充、このとき少し塩分を多く入れすぎたかもしれない。
鼻曲山までの間に後ろから女性ランナーが追いついてきた。素晴らしい速さなので先を譲る。見ると駅伝の選手、フレッシュなわけだ。少し先ではサイラーのYさんがスタッフとして巡回中。エントリーしてたのに走れず、逆に仕事させられていたとは。その後、北向地蔵までの区間で、前方からロストしたランナーが戻ってくるのに行き合う。桂木観音エイドに戻るところを曲がり損ね、そのまま三周目に入ってしまったもののようだ。やはり桂木観音周辺の動線交差部分には案内を充実した方が良い気がする。
夜明けを迎えてヘッドライト消灯、ユガテのトイレ立ち寄りは前周回と同じ。次のエイドが近づいたので、しょっぱすぎるドリンクを廃棄する。
吾那神社エイド到着、もうエイドは半ば撤収の準備中であった。そりゃそうか、あとは多くても数十人しか来ないんだろうから。スープパスタをいただく。今度はコーヒーもホットで。グローブを忘れずに出発。
天覚山への登りで、後ろからランナーの気配。見ると、前回優勝のDさんがペーサーについている人であった。先へ行ってもらう。さらに後続の気配があるが、まだ距離があったのですぐに後を追う(が、前との差は開く一方だ)。
種木では途中リタイヤしたと思しきOさんが車中からランナーに拍手を送ってくれていた。ここで可能なら集会所のトイレを借用したいと思ったのだが、残念ながら朝早すぎて開いていなかった。外の水道を使わせてもらう。
天神山を経て登戸までの間に、後続の数人に抜かされる。登戸から竹寺までの間で、両手が相当むくんでいることに気がつく。腕時計がきつく、指のしわが見えなくなるレベル。おそらく脱水症状によるものだ。
この区間ではかなりスピードが落ちていたはずだが、さらに後ろから追いつかれることはなかった。それどころか、竹寺に近づいた時点で一人を抜き返した記憶がある(早く竹寺のトイレに行きたかったからだ)。
竹寺のエイドでは経口補水液OS1を摂取するが、全然内臓から染み込む感じがしない。内臓の吸収能力が落ちていたのだろう。塩分・水分は十分取っているつもりだったし、少量の食事は問題なく口にできていたので、「胃腸は大丈夫」と思い込んでいたが、どこかで何かが狂っていたのだ。摂りすぎて吸収できていない水分の分だけ、お腹が張ってトイレに行きたくなる。エイドのベンチで数分座って休み、子の権現まではそう遠くない、「行くしかない」と立ち上がる。
太陽が高くなりつつあり、水分が吸収できていない分だけ暑さが堪える。子の権現ではアイスを買おう、と決める(腹具合のことを忘れている)。売店に着くと、試走会で一緒にスタッフをやったサイラーのNさんが応援に来ていた。気になっていたIさんの状況を尋ねると15位で走行中、との朗報。アイスを2個投入して体を冷やし、さらにキュウリの一本漬けを二本購入してかじりながら出発。
西吾野駅では「またあのアイスコーヒーを買おう、量の多いやつを」と思っていたら、皆さん同じ思考なんですね。売り切れでした。仕方ないのでカフェインのとれるアイスティーを選択し、飲み干す。
駅裏の急登をひとつ登ったところで、件のIさんが追いついてきた。「この後の下りが怖いですね、そこで抜かしてください」と淡々と先へ進んで行く。先々週に140km走った人とは信じられない強さだ。
高山不動にはまだIさんの滞在中に到着。しかし水道で頭を冷やしたり、しばらくベンチに座って休んだりしていたので、再出発時にはだいぶ差がついていたと思う。関八州見晴台へ向かうと、グリーンライン上には整体のO先生が出店中。「あと少しだから楽しんで!」と声援を受ける。
そうか、もうあと少しなのか。
そして、まだ楽しむ余地があるのか俺には(楽しそうに見えてるか?)。
ちょっとだけ気持ちに余裕が生まれる。
越生駒ケ岳の激下り、尖った切り株に左の脛をぶつける。これが今回唯一の負傷。四寸道を脱出したところでシューズに入り込んだ異物を除去するため道端に座って履き直す。そこへ、子の権現にいたはずのNさんが走って通りかかる。応援ランでこの速さなのか、なんなんだこの人は…。
バス通りまでのロードで100kmランナーを追い越し、桂木観音へ。夜明け前に山中で会ったYさんがスタッフをやっていた。「もうあとはウイニングラン!」と励まされる。ありがたい。
一方、もう一人のサハラ仲間Hさんからも励ましのメッセージが届く。これはおそらく、本人はリタイヤしてしまったということなんだろう。ちょっとだけ遅れ気味、という情報を明け方にNさんから得た後、音沙汰がなかったので嫌な予感はしていたが、確定的だ。どれだけ準備をやり尽くしても、うまくいかないことがある。ましてや相手はモンスター・埼玉奥地の魔物なんだから、なおさらだ。
悔しさを噛み締めながら送ってくれたはずの、その励ましには答えたい。怪我なく無事に終わらせるのだ。昨年の経験を思い出し、タオルを濡らして首を冷やすようにして出発。虚空蔵尊までの下りはどうにか走る。虚空蔵尊のトイレに立ち寄り、幕岩まではほぼ歩く(途中平坦な箇所で100kmの人を抜いたかな)。大高取山からの下り道はやはり長い。が、昨年のようにトボトボ歩くのではなく、どうにか走って降りられそうだ(もっとも、後ろから抜かされはしたけど)。
このとき時刻は15:00前後の暑い時間帯。トレイルを出れば、サンピアに着く前に唯一の商店の前を通りかかる。そうだ、あそこでもう一度アイスを買って食べながら帰還しよう。それだって「走りきった」ことにはなるだろう。これが試走を繰り返して地理を把握した者の強みだ。待ってろ、才車商店!
バス通りを横切り、「あと2.3km!」というスタッフの案内を聞きつつ、小学校の脇をアイスのことだけ考えて駆ける。橋を渡ればそこに店が…
…店はあるけど
…シャッターが…閉店日かい!
もう一刻も早くサンピアにたどり着く以外の選択はなく、真面目に走って32h32でフィニッシュ。最後の方は33時間以内という目標の時間はどうでもよくなってました(早く終わらせたかったのは間違いない)が、結果的には間に合ってよかったです。
現行コースで33時間以内のサイラーになれたのなら、彩の国Classic Challenge(完走者ゼロの第一回大会のコースを33時間以内)も不可能ではないのでは?と本気で思っています。
北ステージ
序盤・サンピアの裏山から先頭集団に入る。「抑え気味でいく」と公言していたNさんが思いっきり引っ張ってるんですけど。ロードに出るまでの間に私の方が前に出る。ロードではスタッフのMさんがバイクで先導についてくれた。大型バイクの先導がつくって、ずいぶん立派な大会になったもんだ。
試走会の顔なじみIさんとトレイル入口付近まで先頭で並走。上り坂になるところで速い人たちに先頭を譲る。渋滞に引っかからない位置でよかった。
竹林あたりまではサイラーのKさんとも前後していたが、すぐに彼は先に行ってしまった。飯盛峠への林道登りは練習で決めた通り淡々とジョグで無心に上る。エイド直前でIさんを追い抜く。ちょっとバテ気味に見えたが大丈夫か?UTMFのダメージがあるのでは?と余計な心配が頭をよぎる。
8時間程度を目標にしていたが、ついついレース本番だと飛ばしてしまう。この日のために1年間の練習を積み重ねてきたんだから解放感があるのは当然だ、と言い訳を思いつく。気持ちよく走れていて、ほんの少しだけ追い込む程度なので、疲労の蓄積は気にしなくてよさそうだ。タイム・ペースよりも身体の負担・出力パワーの感覚を重視してこのまま進むことにする。
堂平山のトイレは土足OKのはずだからトイレに寄っていこう。と思ったら、今年は土足禁止(土足OKの個室はランナー使用禁止)だった。次のトイレはどこだ?慈光寺か。あそこは元から土足のトイレだから問題ないな。2時間ちょいならこのままいけるはず、と計算して通過する。
慈光寺のエイドではまずはかぶり水、そしてトイレ利用。ドリンク補充をしているところでOさん到着。昨年はロストしてサイラーになり損なっているので、今年は頑張ってほしい。
慈光寺参道を下る途中、サイラーのMさん(DNS)が奥さんと応援に来ていて写真を撮ってくれた。さらに宿交差点まで下ると、クルマ移動であちこちで応援してくれているサイラーのSさんがここにも。本人もペーサーとして走る予定なのに、パワフルだなぁ。
日差しが暑くなってはきたが、山中・林間は少し風もあって心地よいくらいだ。しかし、Nさんから聞いた「50kmでも必ずシャツを替えたほうが良い」というアドバイスに従って、サンピアに戻ったらシャツだけは替えて出よう、と決心する。
新柵山への登りは一人旅。くぬぎむらエイドでもかぶり水を利用させてもらう。そのまま順調にサンピアへ7h10で帰還、昨年よりも早い。ここまでエイドではドリンクの補充とフルーツやゼリーなどのつまみ食い程度のみ。サンピアではカレーを小鉢半分程度いただいた。
南ステージ(前坂)
滞在12分でシャツを替え、夜用の食料(カフェイン入り)に入れ替えてリスタート。ここを素早くやるだけで10位から5位にジャンプアップである。もっとも、五大尊の自販機でコーヒーを買ってトイレに寄ったので、すぐに帳消しになるわけだが。
桂木観音を出たところでサハラ仲間のNさんHさんに「残り100km」とメッセージを送る。前夜、彼らとは「日が暮れる前に天覚山を登りきるとだいぶ楽なのではないか」と話していた。なんとかなりそうなペースだ。
まだ暑いので、ユガテに向かう途中の水場で頭を冷やそう、と思ったら、水量が極少でこれは使えず。ユガテのトイレに寄って手洗い用の湧き水を利用させてもらった。
吾那神社エイドではアイスコーヒーを所望、スティックコーヒーを水で溶いてもらう。出がけにグローブを置き忘れそうになり呼び止められる。感謝。
東吾野駅の裏手を歩きながら、ヘッドライトの準備をする。まだ点灯しなくても行けそうだ。天覚山の頂上直下へ登りきると、スタッフが案内に立っていた。「コース上に案内スタッフはいません」という大会なので、これだけでだいぶ手厚くなったなぁ、と感じる。大高山へ向かう途中でライトオン。
前坂でトータル約12時間。GPS計測しているiPhoneアプリRuntasticの調子がおかしく、計測は継続できているのに終了や保存ボタンが出てこない。ということは、完走しても強制終了するしかなく、記録の保存ができないのでは…完走者に「GPSデータを提供してください」って呼びかける大会だけに、ITRAポイントが認められるのか不安がつのる。ともかく画面のスクリーンショットは要所で保存して画像として記録しておくことにする。
竹寺の手前、天王山を登る前にトイレに寄って、飲用不適の川の水で頭を冷やす。竹寺エイドでうどんを少しだけ。本当は豚汁うどんなのだが、固形物に食指が動かなかったので、汁だけかけていただいた。「次に来るときは上の方に移動しててくれたりしないですよね?」などと軽口を叩いて出発(三周目では山の上から竹寺に降りてくるので、上の方にエイドがあると便利)。
次のポイント子の権現では、エイドはないが売店が深夜営業してくれているはず。その意気に感じて何か買っていこうと夜の山道を急ぐ。だいぶ体感気温は下がり、涼しく走りやすくなってきた時間帯。そこへNさんから残念ながらリタイヤ、とのメッセージ届く。ともに完走を目指してきた仲間のリタイヤが悔しくて泣きそうになるが、もっと泣きたかったのは自分自身だったろう。
子の権現の売店で甘酒を一杯。キュウリの一本漬けを購入してかじりながら山道を下る。塩加減・水分ともに申し分ない。
西吾野駅の自販機でアイスコーヒー。カフェインパワーで駅裏の急登を登る。竹寺〜高山不動の間で順位が5人分上がっているが、特に抜いた記憶がない。高山不動のエイドにはやたらスタッフが多く感じて尋ねると、まだこれから巡回に出る人が多くいるのだ、「まだ速い人しか来てないから」と教えてくれた。聞かされたときは実感がなかったが、このときの私の位置は部門2位。つまり優勝者のひゃっほいさんの次点につけていたらしいのだ。大幅な差のある状態、しかも瞬間風速とはいえ、光栄なことだ。 ※訂正コメント参照
そして関八州見晴台から四寸道を下り、桂木観音へ。ここで順位が5人分後退しているが、これまた抜かれた記憶がない。桂木観音エイドでは南ステージへ向かう100kmランナーたちが出て行くところで、動線が交差する。ここは運営側で案内を考慮するべきところじゃないだろうか。皮ごと食べられるぶどうを何粒も口にし、止まらなくなってしまう。この辺から味覚と胃腸は少し調子が狂い始めていたのかもしれない。
幕岩展望台から大高取山の頂上を経て長い下り山道をたどり、サンピア到着。時刻は01:23、Nさんと、応援に来てくれたサハラ仲間のUさんの出迎えを受ける。サンピア裏手の水道で水を浴びる。
南ステージ(登戸)
残すはあと一周。もう取っておく必要はないので、準備していた着替えを全て取り替える。ヘッドライトの電池も予備と入れ替え、滞在25分でリスタート。ちょうどKさんのリスタートとほぼ同時。中津久根のトイレに立ち寄っている間にKさんが先行したが、西山高取への登りで追いついてしまう。立ち止まっていて辛そうだ。ちょっと脚を痛めていることもあり、リタイヤするため戻るか進むかを考えるとのこと(脚を痛めていての、この走りですか…)。
止まりこそしないものの、私も歩いて動き続けるという程度の動きしかできなくなっている。山道を軽快に走る、というトレイルランニングのイメージとは程遠い。ともかく今回3回目の桂木観音エイド到着。ドリンク補充、このとき少し塩分を多く入れすぎたかもしれない。
鼻曲山までの間に後ろから女性ランナーが追いついてきた。素晴らしい速さなので先を譲る。見ると駅伝の選手、フレッシュなわけだ。少し先ではサイラーのYさんがスタッフとして巡回中。エントリーしてたのに走れず、逆に仕事させられていたとは。その後、北向地蔵までの区間で、前方からロストしたランナーが戻ってくるのに行き合う。桂木観音エイドに戻るところを曲がり損ね、そのまま三周目に入ってしまったもののようだ。やはり桂木観音周辺の動線交差部分には案内を充実した方が良い気がする。
夜明けを迎えてヘッドライト消灯、ユガテのトイレ立ち寄りは前周回と同じ。次のエイドが近づいたので、しょっぱすぎるドリンクを廃棄する。
吾那神社エイド到着、もうエイドは半ば撤収の準備中であった。そりゃそうか、あとは多くても数十人しか来ないんだろうから。スープパスタをいただく。今度はコーヒーもホットで。グローブを忘れずに出発。
天覚山への登りで、後ろからランナーの気配。見ると、前回優勝のDさんがペーサーについている人であった。先へ行ってもらう。さらに後続の気配があるが、まだ距離があったのですぐに後を追う(が、前との差は開く一方だ)。
種木では途中リタイヤしたと思しきOさんが車中からランナーに拍手を送ってくれていた。ここで可能なら集会所のトイレを借用したいと思ったのだが、残念ながら朝早すぎて開いていなかった。外の水道を使わせてもらう。
天神山を経て登戸までの間に、後続の数人に抜かされる。登戸から竹寺までの間で、両手が相当むくんでいることに気がつく。腕時計がきつく、指のしわが見えなくなるレベル。おそらく脱水症状によるものだ。
この区間ではかなりスピードが落ちていたはずだが、さらに後ろから追いつかれることはなかった。それどころか、竹寺に近づいた時点で一人を抜き返した記憶がある(早く竹寺のトイレに行きたかったからだ)。
竹寺のエイドでは経口補水液OS1を摂取するが、全然内臓から染み込む感じがしない。内臓の吸収能力が落ちていたのだろう。塩分・水分は十分取っているつもりだったし、少量の食事は問題なく口にできていたので、「胃腸は大丈夫」と思い込んでいたが、どこかで何かが狂っていたのだ。摂りすぎて吸収できていない水分の分だけ、お腹が張ってトイレに行きたくなる。エイドのベンチで数分座って休み、子の権現まではそう遠くない、「行くしかない」と立ち上がる。
太陽が高くなりつつあり、水分が吸収できていない分だけ暑さが堪える。子の権現ではアイスを買おう、と決める(腹具合のことを忘れている)。売店に着くと、試走会で一緒にスタッフをやったサイラーのNさんが応援に来ていた。気になっていたIさんの状況を尋ねると15位で走行中、との朗報。アイスを2個投入して体を冷やし、さらにキュウリの一本漬けを二本購入してかじりながら出発。
西吾野駅では「またあのアイスコーヒーを買おう、量の多いやつを」と思っていたら、皆さん同じ思考なんですね。売り切れでした。仕方ないのでカフェインのとれるアイスティーを選択し、飲み干す。
駅裏の急登をひとつ登ったところで、件のIさんが追いついてきた。「この後の下りが怖いですね、そこで抜かしてください」と淡々と先へ進んで行く。先々週に140km走った人とは信じられない強さだ。
高山不動にはまだIさんの滞在中に到着。しかし水道で頭を冷やしたり、しばらくベンチに座って休んだりしていたので、再出発時にはだいぶ差がついていたと思う。関八州見晴台へ向かうと、グリーンライン上には整体のO先生が出店中。「あと少しだから楽しんで!」と声援を受ける。
そうか、もうあと少しなのか。
そして、まだ楽しむ余地があるのか俺には(楽しそうに見えてるか?)。
ちょっとだけ気持ちに余裕が生まれる。
越生駒ケ岳の激下り、尖った切り株に左の脛をぶつける。これが今回唯一の負傷。四寸道を脱出したところでシューズに入り込んだ異物を除去するため道端に座って履き直す。そこへ、子の権現にいたはずのNさんが走って通りかかる。応援ランでこの速さなのか、なんなんだこの人は…。
バス通りまでのロードで100kmランナーを追い越し、桂木観音へ。夜明け前に山中で会ったYさんがスタッフをやっていた。「もうあとはウイニングラン!」と励まされる。ありがたい。
一方、もう一人のサハラ仲間Hさんからも励ましのメッセージが届く。これはおそらく、本人はリタイヤしてしまったということなんだろう。ちょっとだけ遅れ気味、という情報を明け方にNさんから得た後、音沙汰がなかったので嫌な予感はしていたが、確定的だ。どれだけ準備をやり尽くしても、うまくいかないことがある。ましてや相手はモンスター・埼玉奥地の魔物なんだから、なおさらだ。
悔しさを噛み締めながら送ってくれたはずの、その励ましには答えたい。怪我なく無事に終わらせるのだ。昨年の経験を思い出し、タオルを濡らして首を冷やすようにして出発。虚空蔵尊までの下りはどうにか走る。虚空蔵尊のトイレに立ち寄り、幕岩まではほぼ歩く(途中平坦な箇所で100kmの人を抜いたかな)。大高取山からの下り道はやはり長い。が、昨年のようにトボトボ歩くのではなく、どうにか走って降りられそうだ(もっとも、後ろから抜かされはしたけど)。
このとき時刻は15:00前後の暑い時間帯。トレイルを出れば、サンピアに着く前に唯一の商店の前を通りかかる。そうだ、あそこでもう一度アイスを買って食べながら帰還しよう。それだって「走りきった」ことにはなるだろう。これが試走を繰り返して地理を把握した者の強みだ。待ってろ、才車商店!
バス通りを横切り、「あと2.3km!」というスタッフの案内を聞きつつ、小学校の脇をアイスのことだけ考えて駆ける。橋を渡ればそこに店が…
…店はあるけど
…シャッターが…閉店日かい!
もう一刻も早くサンピアにたどり着く以外の選択はなく、真面目に走って32h32でフィニッシュ。最後の方は33時間以内という目標の時間はどうでもよくなってました(早く終わらせたかったのは間違いない)が、結果的には間に合ってよかったです。
そして
現行コースで33時間以内のサイラーになれたのなら、彩の国Classic Challenge(完走者ゼロの第一回大会のコースを33時間以内)も不可能ではないのでは?と本気で思っています。
2018年のランを振り返る
振り返ってみれば、昨年の心残りを全て払拭できた、最高の年でした。
年末には東京八峰も仲間と走れたし、幸せな一年でした。
じゃあ、今年は心残りはないのか?
ありますよ。
来年はUTMBにエントリー。当たるといいな。当たらなくても、上記の心残りは潰しに行きます!
新しいシューズ、少しはアッパーが丈夫になったというやつ、買おうかな。
また来年もよろしくお願いいたします。
- 3年越しのトレニックワールドin彩の国100mile完走
- 昨年リタイヤした人生最長のノンストップレース、みちのく津軽ジャーニーラン完走
- 昨年は悪天候で短縮された峨山道トレイルランを全線走って峨山タイム達成
- 昨年は事故で中止されてしまったFun Trails Round 秩父&奥武蔵100kmを完走
- 上記の中止で昨年は獲得できなかったUTMB参加資格を上州武尊スカイビュートレイルで獲得
年末には東京八峰も仲間と走れたし、幸せな一年でした。
じゃあ、今年は心残りはないのか?
ありますよ。
- 彩の国100mileを最後まで走ってフィニッシュすることができなかった
- 峨山道の往復レースに出たかった(招待選手だけだった)
- みちのく津軽では当初の目標=スパルタスロンの参加資格(220km以上のノンストップレース36時間以内)をクリアできなかった
- フルマラソンの自己ベストは更新したが、当初想定ほどの速いタイムではなかった
来年はUTMBにエントリー。当たるといいな。当たらなくても、上記の心残りは潰しに行きます!
新しいシューズ、少しはアッパーが丈夫になったというやつ、買おうかな。